宇野常寛の批評のブルーオーシャン
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宇野常寛の批評のブルーオーシャン 第23回

糸子のために

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──既得権益がはびこり、レッドオーシャンが広がる批評界よ、さようなら!ジェノサイズの後にひらける、新世界がここにある!

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『連続テレビ小説 カーネーション』

 ここ最近、僕は糸子のことばかり考えている。小原糸子──NHKの朝の連続テレビ小説『カーネーション』のヒロインだ。大正時代に大阪・岸和田の呉服屋の娘として生まれた彼女は洋服と出会い、若くして自分の進むべき道を確信して女学校を中退、その才能を発揮して自分の店を持つようになる。そして糸子の(当時の女性としては稀有な)自己実現は、この物語においては同時に男性性との抗争を意味する。物語は幼い糸子が「女である」ことを理由に、大好きな「だんじり」を引けないと知ることから始まる。そして洋服店を開くという夢を抱いた糸子の前には、終始その父・善作が立ちはだかる。善作は本作における男性性の象徴だ。というより、この物語(の前半)における男性性とは、抑圧的な父性のことにほかならない。幼き日の糸子が憧れた近所の「泰蔵兄ちゃん」も、夫となる勝も、おそらくは意図的に劇中における存在感を抑えられており、物語の焦点は、糸子の「女だてらの」自己実現を善作に認めさせるための「抗争」に絞られている。そして物語は、戦争終結と同時にこれらの男がすべて退場(死亡)することでターニング・ポイントを迎える。もちろん、この退場劇の中で最も重要なのは善作の死だ。商売人として男性顔負けの実績を築いた糸子を善作はついに認め(屈服し)、店を彼女に譲る。そして2人の長い「戦い」は終わりを告げ、娘と父が和解を果たしたその直後に善作は客死する。そんな善作の死に付随するように、戦地に召集されていた糸子の周囲の男たち(夫や幼友達)がことごとく戦死していく。しかし彼らの死は父の死の衝撃に揺さぶられる糸子にとっては、あくまで付随物でしかない。そして「男たち」を皆殺しにして、戦争は終わる。

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宇野常寛の批評のブルーオーシャン 第22回

2012年は希望の年になるか?

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『2012年日本はこうなる』

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 先日、NHK教育の討論番組『新世代が解く! ニッポンのジレンマ〜震災の年から希望の年へ〜』という番組に出演した。「格差」をテーマに討論すること6時間、へとへとになったが非常に充実した番組になったと思う。

 テーマは「格差」。いわゆる「ロスジェネ」論壇の勃興と衰退から数年を経た現在、多方面からこの言葉をキーワードに日本社会を分析する──そんなコンセプトで番組は進行した。

 曰く「日本に存在するもっとも深刻な〈格差〉は世代間格差である」、曰く「小さなイノベーションを大事に民間の活力を伸ばそう」、曰く「官は民の創意工夫の邪魔をするな」、どれも正論で、僕自身大変勉強になった。おそらく既存の論壇誌やテレビの討論番組ではあまり出てこない視点から、「格差」問題を考えるきっかけをたくさん提供できたはずだ。元旦放映予定なので、この号の発売時にはすでに終わっているはずだが、機会があればぜひ観てほしい。

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宇野常寛の批評のブルーオーシャン 第21回

上からマリコ

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『上からマリコ』

 AKB48のニューシングル「上からマリコ」のPVを繰り返し見ている。通常、AKBのシングルは運営側の決定した選抜メンバーによって歌われる。当然、選抜は概ねメンバーの人気に基づいている。その人気をわかりやすく可視化しているのが、年に一度行われる「総選挙」だ。ファン投票によって1位から「圏外」まで、彼女たちの人気は明確に序列化される。総選挙で自分の「推しメン」に投票することは、そのまま彼女たちの向こう一年のAKB内での地位に直結し、ひいてはその人生も左右する。ファンとアイドルの一体化を推し進め、その上でビジネスに結びつけた極めて洗練されたシステムだ。しかし、秋元康はここでまた、周到な「混ぜっ返し」を行う。この総選挙の順位(を参考にした運営側の「選抜」)が年に一度だけ無効化されるイベントが用意されているのだ。それが2010年から始まった「じゃんけん選抜」だ。これは文字通りメンバー(ほぼ)全員参加のじゃんけんによって、選抜メンバーを決定するイベントだ。AKBというシステムを根幹から支える総選挙を年に一回だけ無効化し、完全に「運」だけで決定されるゲームを設定する──この絶妙な混ぜっ返しによって、システムは決定的に豊饒さを増している。例えば2010年のじゃんけんクイーンに輝いた内田眞由美は、当時ほぼ無名だった。彼女の優勝とそれに伴うメディア露出の増加は、総選挙の持つ過酷なイメージを緩和すると同時に、無名のメンバーをピックアップすることでAKBの、誰もに可能性が開かれたシステムとしての側面をアピールした。

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宇野常寛の批評のブルーオーシャン 第20回

文化左翼は戦う敵を間違えていないか

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『リトル・ピープルの時代』

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 最近、いわゆる「危険厨」から嫌がらせを受けることが多い。先日は拙著『リトル・ピープルの時代』(幻冬舎)へのAmazonレビューで、ある人物(〈「文化人ロビイスト」なる自称プチ活動家〉とネット上のプロフィールにはある)から「宇野の影響で野田首相は原発再稼働を決定した」と書かれ、さらにツイッター上でもしつこく絡まれた。もちろん、僕は野田首相のブレーンでもなんでもなく(むしろなりたいくらいだが)、それはこの「プチ活動家」氏の捏造(妄想?)だ。

 彼の挙げる論拠は、僕が原発事故直後のニコニコ生放送で「安全厨/危険厨」を批判したこと。番組を見た人はわかるだろうが、これは当時ネット上で急増していた、陰謀論的な妄想に駆られて危い情報を垂れ流す人々への批判だ。「安全厨」を批判していることからも明らかなように、原発推進派に与しているわけでもなんでもない。

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宇野常寛の批評のブルーオーシャン 第19回

政治は"漂流"から抜け出せるか

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『国会要覧-第45版』(国政情報
センター)。

 先日、久々にテレビの討論番組に生出演した。NHKスペシャル『政権交代2年 政治は"漂流"から抜け出せるか』──小泉純一郎政権後、短命政権が続いて安定しない日本政治の脱出口を探るという番組だ。出演者は民主党から岡田克也氏と古川元久氏、自由民主党から石破茂氏と林芳正氏、経済学者の浜矩子氏、そして僕だ。正直、ひとりだけ(年齢的にも職業的にも)完全に浮いていた。自分でも、なんでこの面子に呼ばれたのか、さっぱりわからなかった(どうやら「若者代表」ということらしい)。しかし貴重な機会なので、僕なりに考え、可能な限り言うべきことを言ってきた。

 私見ではポスト・コイズミ的な政局混乱は、自民/民主という二大政党体制が機能していないため、議会制民主主義自体が麻痺しつつあることの証左である。誰もが気づいているが、今や両党は共に右から左まで、新自由主義から社民主義まで、親米から反米まで、ほぼ全ての論者が党内で一通り揃ってしまう総合デパート状態だ。呉越同舟が過ぎて政策レベルでまとまりようがない上、どちらも耳触りのいいことを述べて有権者のボリューム層に訴えようとするので、似たような政策になってしまう。どちらのマニフェストも幕の内弁当のようなもので、両者にはせいぜい副菜がコロッケか、カキフライかの違いしかない。僕の考えでは政界再編を視野に入れた選挙制度改革が必須だと思うのだが、番組の構成はそうは運ばなかった。

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宇野常寛の批評のブルーオーシャン 第18回

「フジテレビ問題」を考える

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『マスゴミ崩壊~さらばレガシーメディ
ア~』

 この原稿を書いている2011年8月22日現在、インターネット上の動きに端を発したフジテレビへの抗議活動が注目を集めている。ことの発端は約1カ月前の7月23日、俳優・高岡蒼甫のツイッター上での発言だ。「正直、お世話になったことも多々あるけど8は今マジで見ない。韓国のTV局かと思う事もしばしば。うちら日本人は日本の伝統番組を求めてますけど。取り合えず韓国ネタ出てきたら消してます。ぐっばい」──これは、ここしばらくフジテレビが韓国制作のテレビドラマを午後の昼下がりの時間に長時間放映し続けていることへの違和感の表明だ。高岡の所属事務所のスターダストプロモーションはこの発言を問題視し、当人を解雇。排外的ナショナリズムの肯定とも取れる発言が問題視されたことに加え、それ以上に芸能事務所にとって極めて重要な取引先であるテレビ局に「配慮」した処分であったという判断が大勢を占めている。この騒動は一気に過熱し、フジテレビにはいわゆる「ネット右翼」とおぼしき視聴者からの抗議が相次ぎ、8月に入ってからは同局の「親韓」的姿勢を批判するデモ活動が確認されている。8月21日にも中規模のデモが行われ、メディアを賑わせた。ネットでのフジテレビ批判も拡大を続け、同局午後枠の有力スポンサーである花王社の製品をアマゾンレビューで酷評する運動までが発生している。

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宇野常寛の批評のブルーオーシャン 第17回

「終わりなき日常」は終わったか

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『リトル・ピープルの時代』

 先月末に発売になった『リトル・ピープルの時代』(幻冬舎)のほかにもう1冊、この夏に本を出す。僕がもう5年も出し続けている雑誌「PLANETS」の緊急特別増刊号だ。題して「夏休みの終わりに」──新著の準備にめどがついてから約1カ月半、もてるリソースの大半をつぎこんで作成した、本当に本当の緊急増刊。そんな同誌には、僕が行った年長世代の論客へのロングインタビューが3本掲載されている。インタビューというより、ほぼ対談だ。宮台真司、小熊英二、中沢新一──この「震災」に際して僕がじっくり話したいと思った三氏だ。

 そのうち宮台氏とは、この震災と原発事故の文学的な意味付けについて論じた。震災が何かを変えたというよりは、既存の構造を強化し、潮流を加速させたという考えにおいて僕と宮台氏は一致している。「終わりなき日常」という氏の言葉は、決して平和な消費社会それ自体を指したものではない。ペンタゴンに飛行機が突っ込もうが、原発が爆発しようが、それが自意識の問題としてしか共有されない社会を指している。古い言葉を使えば、近代的な「政治と文学」の関係が壊れている状態を指した言葉であり、その定義上、「終わりようがない」のだ。

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宇野常寛の批評のブルーオーシャン 第16回

『リトル・ピープルの時代』

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『リトル・ピープルの時代』

──既得権益がはびこり、レッドオーシャンが広がる批評界よ、さようなら!ジェノサイズの後にひらける、新世界がここにある!

 7月28日に、この1年半ずっと書いてきた本がやっと出る。本連載の近況欄でもたびたび取り上げているのでご存じの方も多いだろうが、タイトルは『リトル・ピープルの時代』(幻冬舎)だ。「リトル・ピープル」というのは村上春樹の『1Q84』に登場する超自然的な存在だ。そしてこの本では春樹がこの「リトル・ピープル」という概念に込めたものを考えるところから出発して、徐々に現代日本のポップカルチャー分析を展開していくというものだ。400字詰め原稿用紙で書き下ろし600枚以上、末尾に「補論」として採録した原稿を入れると800枚以上に及ぶ、やたらと長い本になってしまった。実は執筆依頼を受けたのは前著『ゼロ年代の想像力』がまだ「SFマガジン」に連載中だった2007年の末のことだったので、企画自体はもう4年近く続けてきたことになる。

 こんな膨大な時間と枚数をかけて僕が論じたこと、それは現代日本の物語的想像力が失いつつある「巨大なもの」への想像力を取り戻す手がかりだ。

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宇野常寛の批評のブルーオーシャン 第15回

堀江貴文実刑確定に抗議する

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『収監 僕が変えたかった近未来』

 去る4月26日、ホリエモンこと堀江貴文氏の実刑が確定した。

 すでに多くの指摘がある通り、堀江氏の逮捕自体、国策捜査としての側面が強い。例えばライブドア(当時)とほぼ同内容の「粉飾」と解釈し得る会計を行った大企業は少なくない。日興コーディアル証券や山一證券、そしてカネボウ......だが、これらの企業の経営者が堀江氏と同様の処分を受けたかというと、そんなことはない。その多くが罰金や追徴課税をもってして処分とされているし、責任者が起訴を受けて有罪となっても執行猶予がつけられている。少なくとも僕は、堀江氏のみに実刑を受けるだけの悪質な違法性があったという見解に対しては、疑問を抱いている。はっきり言ってしまえば、アンフェアだ。

 ここに、堀江氏をある種のイデオロギーの代表者と見なし、それを葬り去ろうとした意図があったことは明白だ。堀江貴文は確かに〝彼ら〟にとって〈敵〉だったかもしれない。その存在が体現したのは、もはや〈戦後〉には戻れないというメッセージだからだ。終身雇用、年功序列、株の持ち合いによる護送船団方式......これらはすべて冷戦下の戦後的政治体制の産物であり、冷戦終結&バブル崩壊後に継続できるものではない。日本的企業社会は、グローバル化の時代に合わせて変化しなければならないのだ。堀江氏は、そのメッセージを実践で示し、そしてアンフェアな手で潰された。死んだ魚のような目をしながら「あの頃はよかった」と、なくしたものの数を数えてばかりの老人たちに、既得権益を侵す者として敵視されたのだ。この国では、「目立つことをやる」「改革者」は社会が足を引っ張って潰そうとする。

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宇野常寛の批評のブルーオーシャン 第14回

震災から考える──2

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『闘う日本 東日本大震災1カ月の全記録』

 3月11日の東日本大震災から、早1カ月半がたとうとしている。震災それ自体のもたらした傷に加え、福島第一原発の事故による社会混乱はなおも進行中であり、予断を許さない。この原発事故の長期化によって、今回の震災の意味はまるで変わってしまったと言っていい。私も前回示した分析に大きく補足しなければならないだろう。前回の本欄で、この震災が新しいオピニオン・リーダーを生み、インターネットを中心に言論と「世間」の世代交代が進み、日本再生のきっかけになるのではないか、と希望的観測を示した。もちろん、この分析自体は撤回する必要を感じない。しかし、この希望的観測には極めて大きな留保が付け加えられてしまうだろう。

 それは、原発事故の長期化による日本の「分断」がもたらす諸影響だ。そもそも、今回の震災はその被害が広範であったがゆえに、逆に日本社会分断の危機を孕んでいた。つまり、津波に襲われた東北地方東部と茨城県、そして計画停電や水質汚染の恐怖に断続的に襲われ続ける東京周辺、被害が軽微だった北海道及び西日本といった具合に、地方ごとに異なる震災の被害度合いにより、人々の生活感覚が分断されてしまう可能性が高かった。そしてそれが、原発事故の長期化によって現実のものとなってしまった。もちろん、震災の影響による企業倒産など、経済的には既にその被害は全国的になりつつある。しかしそれ以上に、生活実感のレベルでの分断のほうが、強い力として今の日本社会を支配しているように思える。

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ITインサイドレポート
佐々木俊尚の
ITインサイドレポート
『激変するITビジネスとカルチャーの深層を鋭く抉る!』

宇野常寛の批評
宇野常寛の
批評のブルーオーシャン
『さらば、既得権益はびこるレッドオーシャン化した批評界!』

未来からのシナン-目指せ!
田中圭一の
未来からのシナン
『現代のビジネスマンたちの悩みを解決する、超SFマンガ。』


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