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第1特集
サイゾーPremium 特別企画「今こそ“鍋”を考える」

すき焼きの登場と日本人の牛肉食のはじまり

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(写真/Getty Images)

 日本人は牛肉を食べることが大好きだ。牛丼、焼肉、しゃぶしゃぶ、ステーキ……。街を歩けばあらゆる牛肉料理の店を見かけるし、個人でも小売店やネットを通じてあらゆるタイプの牛肉を簡単に入手できる。また、国産和牛はブランド肉として世界中に輸出され、A5肉や熟成肉など、肉にまつわる流行が次々と生まれては持てはやされている。

 これほどまでに日常に根づいた牛肉文化ではあるが、そのきっかけは明治時代に流行した「牛鍋」……後に「すき焼き」として知られていく食べ物だったという。

 そもそも、日本人には江戸時代まで牛肉を食べる習慣がほとんどなかったらしいが、なぜいきなり「牛鍋」ブームとなったのか? また、それ以前の日本における肉食文化はどのようなものであったのか? そして、今や日本の肉食文化の象徴的存在でもある「和牛」は、品種改良が繰り返される中でどのように変容していったのか……。専門家に話を聞きながら、すき焼きと肉食文化の関わりについて考察していきたい。

権力者が肉食を拒否するが、庶民は食べる

 日本人には牛肉を食べる習慣がほとんどなかったと書いたが、肉食自体は有史以前の狩猟時代から行われていた痕跡がある。しかし、飛鳥時代に仏教が伝来してからはその影響で肉食が次第に忌避されていったのだという。肉食文化に詳しいフードジャーナリストの松浦達也氏は、こう語る。

「大化の改新(645~701年)以降、政治に仏教が入り込んできた影響で肉食の禁令は断続的に行われてきました。ただ、それは裏を返すと、庶民も水面下で脈々と肉を食べていたということになります」

 文学博士・渡辺実の『日本食生活史』(吉川弘文館)によると、奈良時代は歴代の天皇のほとんどが肉食を禁止していたというが、同時に
「古くから肉食の味になれていた庶民のあいだでは、これらの禁令もあまり効果がなかった」とのこと。具体的には、「肉食の禁忌はまず貴族階級のあいだにはじまった。やがて仏教は都市の住民の上層部の人々の信仰の対象となり、(中略)仏教に帰依した上層階級の食事には肉食をとることはしだいになくなるのである」という一方で、「農民は、粟・稗を主食として粗食していたとはいえ、この時代は仏教はいまだ彼等にはあまり普及していなかったために、必要に応じて山谷の禽獣を捕ってその肉を食べていた」とのことである。

 しかし、時代が下り政権が移り変わっていくと共にその統制は緩まり、獣肉はダメでも魚や鶏はOKといった風潮になったり、鎌倉時代から台頭した武士は狩りで得た猪、鹿、クマ、ウサギなどの獣肉を食べていた。だが、貴族や僧侶の間では「肉食=タブー」といった意識が残り続け、肉食をする者はいたものの、あくまで密かに行うものであった。

 このような、庶民と貴族の食文化の相違はおおむね江戸時代まで続くことになるが、牛だけは食用ではなく「労働力」として見られていたため、一般的に食べられることはなかった。また、江戸時代に入ると獣肉食に関する研究も進むが、陽明学者の熊沢蕃山は著書『集義外書』の中で「牛肉を食べてはいけないのは神を穢すからではなく、農耕に支障が出るから」という見解を示している。

「もっとも、現在の滋賀県にあたる彦根藩では『滋養強壮の薬』として、牛肉の味噌漬けが生産されており、毎年将軍家に献上されていました。これが好評で将軍家以外の諸藩からも要求が絶えなかったそうです。15代藩主・井伊直弼の頃、屠殺が禁じられているという理由で献上を取りやめたところ、水戸藩主の徳川斉昭(15代将軍・徳川慶喜の実父)から『どうか送ってくれ』『特別にお願いしたい』などと催促の手紙がたびたび届いたというエピソードもあります」(松浦氏)

 ちなみに徳川斉昭は自ら乳牛を飼育し、牛乳を精力剤として飲んでいたことでも知られている。このように、上流階級の間で牛肉に対する忌避感が薄れつつあった中、日本は明治維新を迎える。

明治時代の牛鍋は獣臭かった?

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