宇野常寛の批評のブルーオーシャン
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宇野常寛の批評のブルーオーシャン 第13回

震災から考える

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既得権益がはびこり、レッドオーシャンが広がる批評界よ、さようなら! ジェノサイズのあとにひらける、新世界がここにある!

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『報道写真全記録2011.3.11-4.11
東日本大震災』

 2011年3月11日の東日本大震災から早くも半月がたとうとしている(本稿執筆時点)。福島の原発の放射能漏れについては予断を許さない状況が続いており、そして壊滅的な打撃を受けた東北地方東部についてはいまだ多くの人々が避難生活を余儀なくされ、被害の全貌をつかむことすらほど遠い状況だ。国内的には間違いなく戦後最大の災害であり、国難のひとつだといえるだろう。

 この半月の動きで、文化評論の立場から指摘したいことは2つある。

 第一にメディアの問題だ。国内ではこの10年間、新聞・テレビ・出版といった旧メディアとインターネット=新メディアの対立がメディア状況を作っていたといえる。両者は、前者がポスト新人類以上、後者は団塊ジュニア以下と、主な支持層が世代的に異なり、そしてこの世代差はそのまま、戦後的な社会に育った世代と冷戦終結/バブル崩壊以降の新しい(しかし方向性の見えない)日本社会に育った世代との差でもある。メディアにおいては、前者は後者を脅威に感じながらも素人の集まりとどこか蔑み、後者は前者を既存の思考回路に縛られた時代遅れの「マスゴミ」とののしりながらどこか憧れを隠せない──そんな空気が漂っていた。

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宇野常寛の批評のブルーオーシャン 第12回

『マイ・バック・ページ』とロックの不可能性

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画像はDVD『リンダリンダリンダ』より

 山下敦弘(監督)と向井康介(脚本)のコンビを最初に意識したのは『リンダ リンダ リンダ』(05)だった。ありふれた高校のありふれた文化祭で、即興で結成された女子バンドがブルーハーツのコピーを演奏する。それだけのことを淡々と描いた映画だ。この映画の傑作たる所以は、ブルーハーツから「意味」を脱臭したことだろう。原曲に刻印された、発表当時のバブル的な空気への批判意識、泥臭く、汗臭いけれど俺たちは本物の魂を持って生きているんだという逆差別的ナルシシズムは大きく脱臭され、この映画で少女たちが演奏するブルーハーツは、端的な世界への肯定として作用する。そしてそんな肯定が、ひたすらに気持ちいい。風穴を開けたくても立ち向かうべき壁がない──そんな現代の世界、ロックを、カウンターカルチャーを原理的に成立させないこの新しい世界の持つ快楽を、この映画はブルーハーツという極めてイデオロギッシュなバンドから意味を奪うことで、コンセプチュアルにアピールした。

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宇野常寛の批評のブルーオーシャン 第11回

いまだ考える、『Q10』が投げかけたもの

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『Q10』DVD-BOX

 放映終了から2カ月近く経って、いまだに『Q10』のことを考えている。年末まで放映されていたテレビドラマだ。脚本を担当した木皿泉は夫婦のユニット作家で、『すいか』(03)、『野ブタ。をプロデュース』(05)、『セクシーボイスアンドロボ』(07、以上すべて日本テレビ)など、視聴率こそ高くないものの熱心なファンを抱える名作を生み出してきた。

 そして始まった本作は、とても奇妙な物語だった。基本的には受験を間近に控えた高校3年生たちの群像劇なのだが、どこにでもいそうな彼らの前にロボットの少女=Q10(キュート)が現れる。主人公の平太は過去に大病を患っており、そのせいか回復した今もどこか無気力なところがある少年。そんな平太が、なりゆきからQ10の保護者的な存在となり、やがて恋をすることで変わっていく、というのが大まかなストーリーだ。

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宇野常寛の批評のブルーオーシャン 第10回

「思想地図β」の衝撃

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『思想地図β』東浩紀(著者・編集)

 2010年12月21日、思想誌「思想地図β」(コンテクチュアズ)が発売された。これは批評家・東浩紀が責任編集を務める思想誌で、取次を通さない事実上の自主流通で創刊されたものだ。前身となった「思想地図」誌(NHK出版)の末期には、私も東氏のサポートで企画編集に参加しており、今回も「郊外文学論」という論考を寄稿している。NHK出版から独立するかたちで新創刊されたこの「思想地図β」は初刷り8000部が瞬く間に売り切れ、急遽7000部の増刷が決定された。都内を中心に「読みたくても読めない」いわば「思想地図難民」が発生し、12月末現在、ツイッター上では、まだ在庫のある書店情報が交換されている。

 取次を通さない自主流通であること、そして2300円という高価格を考えると、これは異例のことだ。そもそも私が参加していたNHK出版時代から、同誌はその内容もさることながら、その販売実績で注目を浴びていた。ハードな批評・思想誌でありながら累計1万5000部前後を維持する同誌は、「思想誌=赤字雑誌」という業界の常識を覆すものだったのだ。そこから自主流通に切り替え、価格を約1000円アップさせたこの「β」が同等かそれ以上の販売実績を見せているのは、はっきり言って「革命」だろう。出版業界のパンドラの箱が今、開いたのだ。

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宇野常寛の批評のブルーオーシャン 第9回

『CYZO PLANETS SPECIAL PRELUDE 2011』

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ガンダム30thアニバーサリーコレクション
機動戦士ガンダム

「月刊カルチャー時評」のほうでも触れたが、同コーナーの総集編を制作している。タイトルは『CYZO×PLANETS SPECIAL PRELUDE 2011』──つまりは2010年の文化状況を総括する1冊だ。これは「月刊カルチャー時評」の再録に、小説、マンガ、映画、ドラマ、アニメなど各ジャンルの総括座談会、そして入江悠、渡辺あや、梅沢和木といったクリエイターインタビューなど、新規コンテンツを加えている。この1カ月は、この増刊号のために、ひたすら未読の小説や映画を消化していた。その上で具体的なタイトル名を挙げた今年の文化状況については、カルチャー時評の座談会で述べた通りなのでここでは繰り返さない。

 ただひとつ言えるのは、個人的な感想を述べれば、今年はポスト・ゼロ年代の年というよりは、ゼロ年代に起こった変化が拡散してゆく一年だったということだろう。ゼロ年代に文化状況が迎えた変化とは、グローバル/ネットワーク化により、表現が消費者に働きかける際の採用点が決定的に変化してしまったということに尽きる。たとえば、ゼロ年代は「機動戦士ガンダム」シリーズが、世代を超えたメジャーコンテンツに進化した。2002年の『機動戦士ガンダムSEED』による若年層(男女とも)の獲得と、ハイターゲット商品(高額プラモデル「マスターグレード」シリーズなど)のヒットによる初代「ガンダム」ブーム(80年代前半)時のファンの再獲得に成功し、これらが「ガンダム」という共通言語に結びつくことで一大市場に発展したのだ。

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宇野常寛の批評のブルーオーシャン 第8回

『日本の、これから どうする?"無縁社会"』

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 先日、NHKの討論番組『日本の、これから』に出演してきた。テーマは「無縁社会」だ(10月30日放映)。高度成長期の農村から都市への人口移動によって、家族でも国家でもない中間共同体の機能もまた、ムラ社会的な地域コミュニティから日本的経営に基づいた企業社会へと移動した。しかし企業社会はその性質上、リタイアと同時にメンバーを共同体から排除してしまう。それに加えてバブル崩壊から20年で、いわゆる日本的経営は多くの企業において事実上放棄され、若年層に多い非正規雇用者の大半は、そもそも企業社会というコミュニティに接続すらできなくなった。かくして、地縁、家族縁、会社縁のどれもが希薄な「無縁社会」日本が完成し、独居老人の孤独死などを生んだというストーリーになっている。
 
 僕の役目は、このできあがったストーリーに冷や水をかけることだったのだが、台風情報などで放映時間が短縮されたこともあり、用意していたことの半分くらいしかしゃべれなかった。

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宇野常寛の批評のブルーオーシャン 第7回

希望難民ご一行様 ピースボートと「承認の共同体」幻想

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『希望難民ご一行様 ピースボートと
「承認の共同体」幻想』
、著者古市憲寿氏

 少し前になるが、光文社の編集者の方からいきなりメールが届き、「著者の希望で宇野さんにぜひ献本したい本があります」という旨が書いてあった。なんにせよ、タダで本をくれるのだからうれしいなと思い、住所を教えると数日後に郵便受けに収まっていたのがこの本だった。『希望難民ご一行様 ピースボートと「承認の共同体」幻想』──著者は古市憲寿(ふるいちのりとし)、東京大学大学院総合文化研究科博士課程在籍の研究者で、弱冠25歳の1985年生まれだという。古市君は、なんと「あの」ピースボートに自ら乗り込み、そこに集う人々とそのコミュニティを長期に渡って観察し続けてきた。その至近距離からの描写と、そこから著者が読み込んだ現代社会論(主に世代論と若者論)を展開するのが本書である。

 どうも古市君には学者以前にライターとしての才能とテクニックがあるらしく、主に前者のパートに出現する絶妙な「あるある感」をかもし出す手の込んだ形容の数々には、笑った。

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宇野常寛の批評のブルーオーシャン 第6回

クール・ジャパノロジーの可能性

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『日本的想像力の未来クール・ジャパノロジ
ーの可能性』
(NHK出版)

 先日、NHK出版から発売された『日本的想像力の未来クール・ジャパノロジーの可能性』(東浩紀編)は、今年3月に東工大で催されたシンポジウムを再録、再編集したものだ。クール・ジャパンという、ある意味恥ずかしいにもほどがある言葉を用いた題名から、敬遠する人も多いだろう。あるいは、マンガやアニメといったオタク系文化をめぐる議論は、自分には関係ないのだ、と。
 
 しかし一読すればわかるように、クール・ジャパンという言葉はここでは明確にアイロニーとして機能しており、むしろ政府が推進する空疎な(と言わざるを得ない)クール・ジャパンというブランディングのイメージとはまったく異なった、そして内実のある「日本的想像力」についての議論が展開されている。そう、ここで問われているのは、日本のコンテンツ政策や、あるいはオタク系文化の市民権(に偽装した旧世代オタクのアイデンティティ問題)などという、はっきり言ってどうでもいいこととはまったく別のレベルの、「日本的想像力とは何か」という問題だ。オタク系文化が、あるいは独特のウェブ受容(ツイッターの爆発的普及、mixi、2ch、ケータイ小説サイト、ニコニコ動画などの定着)や「カワイイ」系の女子カルチャーが生み出されていく「日本」という磁場(それはもしかしたら「東アジア」という磁場かもしれない)について考えること──それが、このシンポジウムの主題である。

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宇野常寛の批評のブルーオーシャン 第5回

「PLANETS vol.7」ついに発売!

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「PLANETS」第7号の表紙。

 この号のサイゾーが発売される3日前に、「PLANETS」最新第7号が夏コミで先行販売されているはずだ。表紙はSKE48の松井玲奈。『マジすか学園』(テレビ東京)のゲキカラ役が最近では印象的だったが、今回は夏の雑誌ということでクールな視線を意識した。さらにAKB48、というか『マジすか』からは「チーム・ホルモン同窓会」と称した撮り下ろしグラビア&座談会を収録。これまでの同番組の露出とは一味違ったテイストが楽しめるページに仕上がっている。

 メイン特集は「ゲーム批評の三角形(トライフォース)」。物語(コンテンツ)とシステム(アーキテクチャ)の綱引きを主題としてきた過去のゲーム論壇は、90年代末のゲームバブルの終焉と携帯機&ライトユーザー向けソフトへのヘゲモニー移行によって大きく衰退した。しかし、こうしたゼロ年代のビデオゲーム界の変化は、実は「コミュニケーション」という第三項の台頭による極めてクリティカルな変化だったのではないか。つまりポケモン、モンハン、そしてSNSを席巻する広義のソーシャルゲームに至る流れこそが「ゲーム」の本質をえぐり出しているのではないか。そんな問題意識が貫かれている。こうした我々の問いかけに、堀井雄二、松野泰己、竜騎士07、ZUNといった新旧のトップクリエイターたちが正面から解答し、そして内外の論客が論考を寄せている。まさにゲーム批評を再生する決定版であると自負できる内容だ。

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連載 宇野常寛の批評のブルーオーシャン 第4回

上半期映像コンテンツを振り返る

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 気がつけば7月になってしまった。2010年も前半戦が早くも終了してしまったのだ。ということで、備忘録も兼ねて今回は上半期のカルチャー総決算、というか中間報告を行おうと思う。

 まず映画だが、日本映画では圧倒的に『告白』(中島哲也監督)が良かった。前号の「カルチャー時評」でも触れたが、原作小説(自意識系ブロガーの垂れ流しのようなもの=セカイ系的独白)への批評的介入によって、そんなプレイヤーたちの自己目的化したコミュニケーションの無限連鎖する(バトルロワイヤル的)状況を、つかず離れずの絶妙な距離感で描き出した傑作だ。プロデューサーの川村元気氏は僕とほぼ同年の31歳。同作の成功は個人的にも大きく勇気づけられる「事件」だった。

 ドラマでは、NHKの単発作『その街のこども』が群を抜いていた。これも前号で取り上げたが、フェイク・ドキュメンタリー的手法と、(『神話が考える』の福嶋亮大いうところの)偽史的想像力の合わせ技で、震災という大きなものにアプローチするコンセプトが素晴らしい。渡辺あやによる二者間のダイアローグも非常に完成度が高く、どこまでがアドリブなのかわからない空間を成立させ、フェイク・ドキュメンタリー的手法の魅力を最大限に引き出している。

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宇野常寛の批評
宇野常寛の
批評のブルーオーシャン
『さらば、既得権益はびこるレッドオーシャン化した批評界!』

映画でわかるアメリカがわかる
町山智浩の
映画でわかるアメリカがわかる
『映画を通してズイズイっと見えてくる、超大国の真の姿。』

おなじみのアフロ君がくさす、毎月の気になるニュース。
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『おなじみのアフロ君がくさす、毎月の気になるニュース。』


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