――あなたの知らない「夜の世界」をご案内します
5000億円企業・大王製紙創業家3代目の御曹司であり、東大法学部卒の超エリート。自ら起こした事件を受けて、会社を去ることになったが、自身が有する莫大な資産と華麗なる人脈、そして、その人柄に変化なし。そんな井川意高が、若き日から今に至るまで夜な夜な繰り出してきた「天上の宴」というべき夜の世界に大衆を誘う。実業家、資産家、芸能人、文化人、港区女子……そこには、どんな人々が集い、いかなる物語が奏でられてきたのか――。
バブルのピークはいつだったか。
1989年12月29日の東証大納会の終値で、3万8915円の最高値(当時)を記録したときだろうか。明けて1990年もバブル景気はまだまだ続くものと日本は浮かれていた。
1990年、私が7月に26歳を迎える年。この頃、銀座から私の足は遠のきつつあった。別に、心を入れかえて夜の街から足を洗ったわけではない。
一つには、銀座のクラブで先輩経営者たちと遭遇することが億劫になったからである。
18歳から20歳過ぎまでは、銀座の夜の世界が目新しく、そこで「おお!井川先輩(私の父)の息子さんか!こちらに来なさい。一緒に飲もう」と声をかけられるのが嬉しかった。
これまでにも名前を挙げた、下着メーカーWのT副社長、彼の義理の兄YUさん、茶道若宗匠の従兄弟HIROさんだけではない。
I百貨店のK社長、N信販のY社長、映画会社TのW副社長、Iプロダクションの看板俳優W・T氏など挙げればきりがない。
クラブ「グレ」のお気に入りのホステスと新橋の「京味」から同伴出勤しても、決して狭くはない「グレ」の店内に、彼ら先輩たち何人かが先に座っていることもままあった。
「井川くん!」
「先輩!いつもありがとうございます」
「まあ、一杯一緒に飲もうか」
「よろしいんですか?」
というのが、お決まりのパターンである。
一杯と言って、一杯で済むわけがない。10分、15分同席してから、また他の先輩の席へと、ひどい時は同伴したお気に入りの女性の元へ戻るのに1時間近くかかることもあった。
そういった儀式(?)が面倒になってきたのである。
人間とは勝手なものだ。
銀座の右も左もわからなかった頃は、父との人間関係から可愛がってくれ、ご馳走してくれた先輩たちがありがたかったのに、勝手も知り、父から「この資産管理会社はおまえの自由にしていいぞ」と付け回し先をもらい、自分で支払うようになると、先輩に気を遣って飲むのが面倒になったのだ。