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【無料公開】芸術家たちの本当の戦略とは? 真の芸術タブーを破った本11選

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――芸術とは、禁忌をめぐる物語である──。そんなキャッチフレーズが作られそうなほど、芸術とタブーは密接にからみあった関係にある。だが、タブーを破ることが芸術である、と言い切ってしまえるほど、芸術とタブーの関係は単純ではないようだ。タブーを破ってアートシーンにセンセーションを巻き起こしたかに見える作品が、実はタブーどころか、律儀に美術史の文脈を踏まえているということがお定まりだという意見もあるのだ。

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『芸術起業論』(幻冬舎)

 本稿では、そんな芸術とタブーの関係を念頭に置きながら、現代アートを読み解く羅針盤となりうる本を紹介していきたい。

 まず現代芸術家によるベストセラー・村上隆『芸術起業論』【1】を読むと、破天荒に見えるアーティストでも、いかにきちんと美術史の系譜に戦略的に自らを連ねているかが如実に理解できる。周知の通り村上は、日本のオタクカルチャーを美術に取り入れ、一部の既成の美術界からは顰蹙をあびながらも欧米を中心に絶大な支持を得、その作品がオークションで1億円の値段がつくまでになったアーティストである。本書の中で、村上は、「これまで日本人アーティストが世界でほとんど通用しなかったのは、欧米の芸術の世界のルールをふまえていなかったから」であり、また、「現代社会の競争原理の中で生計を立てるなら、芸術の世界であれ戦略は欠かせない。作品を作り続けたいなら、お金を儲けて生き残らなければならない」と、キッパリと言い放つ。現代において、「世俗から超越して、芸術のみに邁進する」アーティストなど、幻想の中にしか存在しない、ということを思い知らされる本だ。

『自伝でわかる現代アート』【2】は、東京工科大学デザイン学部准教授の暮沢剛巳氏が、20世紀アートを代表する8人のアーティストの自伝を紹介・分析したもの。これを読むと、マン・レイやアンディ・ウォーホルといった20世紀アートの騎手たちも、無名時代の経済的に苦しい状況から抜け出して、思い描く創作を自由にできる境遇へと這い上がるために、いかに美術史の系譜上に自分が位置づけられるよう、戦略を組んできたのか、ということが実感できる同書内、アンディ・ウォーホルの自伝『ぼくの哲学』【3】からの引用では、ウォーホルの代名詞であるキャンベルスープの缶の絵のアイデアが、実は知人から50ドルで買い取ったものであることや、彼の作品の一部を実質的に制作したアシスタントの名前を、ウォーホルが堂々と公表していたことなどが明らかにされている。現代アートは、決してキレイ事によって成り立っている世界ではないことを、読み取ることのできる書籍である。

 これらの本を読んでいるとよく分かるのだが、性や社会的規範に背くことは決して芸術の道から外れることではなく、美術史の系譜にきちんと位置づけていれば、むしろそれは正統な美術として美術界で受け入れられる。逆に、美術史の系譜を踏まえずに美術を製作することこそが、美術史では異端とされるのであり、その事のほうが現代アートにおけるタブーなのかもしれない。そのことをまざまざと示している本が、『ラッセンとは何だったのか? 消費とアートを越えた「先」』【4】である。著書のひとりでもある、暮沢剛巳氏はこう話す。

「ラッセンは、イルカが海でしぶきを吹き上げているような細密な絵で人気のアーティストとして非常に有名ですが、現代美術や美術評論の世界ではまったくといっていいほど無視されてきました。それは日本でのラッセンの作品の売られ方が、展覧会に強引に引き入れられ、巧みに買わされるその販売手法で悪評を招いたこともありますが、それ以上に、インテリアとしての絵という目的に徹し、先行する芸術家たちの作品の文脈をまったく踏まえていない彼の作品が通常の美術の系譜、スキームにまったくのっとっていないように見えるということが問題だったのです。現代アートというのは、実はさまざまな約束事や不文律に縛られている世界なのですが、ラッセンはその外側に位置していました。結局、美術の世界では、過去から現代に至るまでの美術史の系譜にいかにうまく関連付けられているかということが評価の基盤になる。その意味では、挑発的な作風で物議を醸すアーティストが『正統』で、逆に挑発的でもなんでもないラッセンのような人が『イロモノ』ということになってしまうのです」

 つまるところ、現代美術におけるセオリーを守らないことこそ、現代美術の最大のタブーだった……とも取れる談話だが、意外にもそのあたりにこそ、現代アートの本質が隠されているのかもしれない。

パトロンと贋作をめぐる芸術のミステリー

 そもそも、芸術が決して芸術家の作品だけでは存在し得ないことは、今に始まったことではない。芸術家はその活動を経済的な面から支えてくれるパトロンの存在があってこそ、初めて芸術活動に専念することができるといえるかもしれない。『芸術のパトロンたち』【5】は、そんな芸術家とパトロンたちの歴史について叙述した本だ。

 特に前近代において、芸術家は、教会や貴族、商人といったパトロンの存在なしには、芸術活動をすることができなかった。ただ、その時代には、批評家などというものも存在せず、19世紀頃から市民が芸術を鑑賞するような時代になって、美術批評家なるものも生まれ、芸術家は批評家の目を意識して作品を創らざるをえなくなるのである。もしかすると、芸術家が純粋に自身の芸術に没頭できたのは、貴族などが強固な後ろ盾となって芸術家を支えた前近代のほうだったのかもしれない、などという見方はうがちすぎだろうか。

『美術品はなぜ盗まれるのか』【6】は、美術館の学芸員が、1994年に展覧会中に盗まれたターナーの絵画を取り戻すまでの8年半の及ぶ創作の軌跡を追ったドキュメンタリーだ。ミステリー小説さながらの展開もさることながら、美術品というものがいかに特殊な価値を付与される存在であるかについても考えさせられる。本書によれば、高級美術品が盗難されたことが新聞に大々的に報道されることによって、盗んだ犯罪者は麻薬や銃の取引の担保としてその作品を使うことが、より可能になるのだという。美術品の価値というものは、やがて本来あるべき場所から逸脱していく可能性を秘めているということについて思わせられる書物だ。

 さらに『スキャンダル戦後美術史』【7】は、戦争画をめぐる戦後処理や、絵画バブル、そして贋作の横行など、美術をめぐる戦後日本のさまざまなスキャンダルを紹介している。特に贋作について述べられた章では、贋作が重要文化財に認定されたり、美術館が贋作を購入したという事例までを紹介。権威とされる人にもそこまで見分けがつかないようだと、そもそも美術品における真贋とは何かという疑問すら浮かんでくる。この章で紹介されているウワサ話だが、多作だったピカソはある時、ピカソの手によるとされている作品の真贋を教えて欲しいと依頼された際、値段を聞いて、高価だったことがわかると、「それなら本物だ」と答えたという。

 芸術家本人すら見分けがつかなくなってしまうほどの贋作は、ある程度の技術を持った画家によってなされることが多いという。それだけの腕前を持ちながら、贋作づくりに手を染めざるを得ない画家の苦渋とは、どのようなものなのだろうか?

 贋作をめぐるミステリーとしては、昨年話題となった『楽園のカンヴァス』【8】が挙げられる。ある富豪から、自身が所有するルソーの絵の真贋を見極めてほしいと依頼された女性美術館員と、男性のキュレーターの鑑定勝負を縦軸に、そのルソーをめぐる物語を絡めながら展開されるこの小説は、絵画とは本来謎めいた存在であるということを匂わせている。

芸術家は本当に世俗を超越しているのか?

『無限の網 草間彌生自伝』【9】は、世界的なアーティストである草間彌生が、自らの人生を綴ったものだが、これを読むと、統合失調症という診断を受けたこともある彼女が、自分の内なる狂気や強迫観念をいかに芸術として昇華させていったかがよくわかる。

 60年代のニューヨークで、裸の男女に街中を走らせたり、乱交パーティーを開いたりといった過激な活動を行い、芸術における性の表現を極め尽くした草間彌生。それは、既成のモラルを激しく逸脱したアウトサイダーの表現であるかのようにも見えるが、今草間が世界的な評価を確立させていることから見ても、それは実は見事に美術史の系譜にのっとった、インサイダー・アートだったのかもしれない。

 小説においては、芸術とは、社会の規範を破壊し、人を傷つけてこそ生み出されるものだというテーマが、しばしば表現される。その双璧が、芥川龍之介の『地獄変』【10】と、サマセット・モーム『月と六ペンス』【11】だろう。

 前者は地獄の炎を描くために、自らの娘が炎に焼かれるさまを目に焼き付ける絵師の話である。娘の乗る車に炎をかけさせたのは、絵師ではなく、絵師の主君なのだが、そこに至るまでに、芸術のためならあらゆることを辞さない絵師の人間性が克明に描写されており、結末への説得力を持たせている。

 後者は、イギリスの文豪サマセット・モームが、ゴーギャンをモデルに、既成のモラルを超越した画家を描いた作品。絵のために安定した暮らしと家族を捨て、友人の妻まで死なせてなお、自分の芸術を追い求める画家の生き方が、いわゆる常識人である語り手の目を通して描かれる。芸術のためには何物をも顧みない男を描いて、大ベストセラーとなった作品だが、さて、現代の、いや、すべての時代の芸術家は、本当にそんなに世俗を超越していたのだろうか?

 本稿の最初の方でも見たように、芸術家の営みが、いかに自分を美術史の文脈の中に巧みに位置づけ、自分の立ち位置を確保するかという戦略によって成り立っているとしたら、実は「本当は芸術家はもっとも世俗的な人種である」ということが明らかになってしまうことこそ、真の芸術のタブーなのかもしれない──。(里中高志)

【1】『芸術起業論』
村上隆/幻冬舎(06年)/1680円
日本アニメなどのポップカルチャーをベースにした作品で、世界的にも高い評価を受けている著者が、「起業」という観点から芸術を解き明かし、芸術家として生き残っていくためには、さまざまな戦略が必要であることを説明する。

【2】『自伝でわかる現代アート』
暮沢剛巳/平凡社新書(12年)/903円
フランク・ロイド・ライト、マン・レイ、アンディ・ウォーホル、草間彌生といった20世紀アートを代表する8人のアーティストの自伝を読み解き、20世紀における芸術の概念の変遷と、作家の創造性の源を検証する。

【3】『ぼくの哲学』
アンディ・ウォーホル著・落石八月月訳/新潮社(98年)/2415円
マリリン・モンローや毛沢東、さらにはキャンベルスープ缶といったモチーフを時代の象徴として表現し、20世紀を代表するアーティストとなったアンディ・ウォーホルが、自らの半生を語った自伝。

【4】『ラッセンとは何だったのか? 消費とアートを越えた「先」』
原田裕規編著/フィルムアート社(13年)/2310円
細密なイルカの絵で広く知られながら、美術界では黙殺に近い扱いを受けてきたクリスチャン・ラッセンについて、美術史の観点から検証し直すことで、現代美術のルールとタブーとは何かを問いなおしてゆく。

【5】『芸術のパトロンたち』
高階秀爾/岩波新書(97年)/660円+税(版元品切)
王侯貴族や教会、コレクター、画商など、芸術において、それを保護して育ててきたパトロンたちの存在に焦点を当て、彼らが芸術にどのような影響を与えてきたかを検証。芸術の庇護者が特権階級から市民、批評家へと移っていく経緯を叙述する。

【6】『美術品はなぜ盗まれるのか』
サンディ・ネアン著・中山ゆかり訳/白水社(13年)/2730円
94年、展覧会の開催中に盗まれた、19世紀イギリスを代表する画家・ターナーの絵画。テート・ギャラリーの学芸員である著者がその作品を取り戻すまでの軌跡を自ら綴ったドキュメンタリー。

【7】『スキャンダル戦後美術史』
大宮知信/平凡社新書(06年)/819円
戦時中に多く描かれた戦争画をめぐる画家の戦争責任、重要文化財に指定された例もある、贋作の横行、美術館設立や、絵画購入をめぐるバブルとその崩壊など、戦後日本の美術をめぐるスキャンダルを多方面から紹介。

【8】『楽園のカンヴァス』
原田マハ/新潮社(12年)/1680円
地方都市の美術館で監視員を務める女性がかつて繰り広げた鑑定勝負。それは、ある大富豪が所有するルソーの絵が本物かどうかを、残された彼にまつわる手記を紐解きながら見極めるということだった。

【9】『無限の網 草間彌生自伝』
草間彌生/新潮文庫(12年)/662円
現代日本を代表する世界的アーティスト・草間彌生が、自らの半生を綴った自伝。幻覚に苦しんだ少女時代から、極貧のなか芸術を追い求めたニューヨーク時代、そして、革新的な芸術表現で時代の寵児となるまでを描いている。

【10】『地獄変』
芥川龍之介/『蜘蛛の糸・地獄変』角川文庫(89年)・340円など
宇治拾遺物語の1エピソードを基に、芸術家の狂気を描く。理想の絵を描くためなら、真に迫るために実際にその光景を見ては絵筆をふるう絵師が、ついに地獄の炎を描くために、自らの娘が焼かれる炎を目に焼き付けるという物語。

【11】『月と六ペンス』
サマセット・モーム/新潮文庫・中野好夫訳(59年)・662円など
タヒチを描いた画家、ポール・ゴーギャンの生涯をモデルに、芸術のためなら、あらゆる世俗のモラルを顧みずに自身の情熱に殉じようとするひとりの男を描く。題名の「月」とは夢を、「六ペンス」は現実を指しているとされている。

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