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小原真史の「写真時評」【112】

括弧付きの本土「復帰」

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――過去から見る現在、写真による時事批評

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1975年に開催された沖縄国際海洋博覧会。会場のあった本部町の海上に「アクアポリス」が建設された。(写真/Getty Images)

沖縄の本土「復帰」から50年が経過した。沖縄を舞台にしたNHKの朝ドラ『ちむどんどん』の放送が4月から始まり、「沖縄復帰50年記念 特別展『琉球』」(東京国立博物館)も開催されているが、本土ではこの節目の年についてさほど報じられていないように思われる。後者の展覧会は、琉球王朝ゆかりの宝物を中心に展示されているという意味で「琉球展」というよりも「首里展」であり、そのことがこれらの品々が沖縄戦を生き延びた大きな理由だったのだが、ここであまり深入りする紙幅はない。しかし、なによりも気になったのは、展覧会タイトルにある「復帰」という言葉に括弧が付けられていないことだ。

沖縄の施政権がアメリカから返還された1972年当時は、本土「復帰」を日本による再併合と解したり、「第三次琉球処分」ととらえる視点が少なからずあり、あくまでも括弧付きの「復帰」だったはずなのだが、いつの頃からか沖縄でも括弧なしでこの言葉が使われることが目立つようになってきた。 アメリカ施政権下では、本土との往来に渡航証明書が必要で、沖縄を訪れる旅客の目的は、慰霊や戦跡めぐりが中心だった。そうした状況に変化をもたらし、旅客が急激に増加する節目となったのが、本土「復帰」とその3年後の75年に開催された沖縄国際海洋博覧会(以下、海洋博)だ。海洋博は、沖縄と本土の格差是正に向けた施策のシンボルとして位置づけられ、当初「沖縄経済の起爆剤」とも謳われたが、「復興五輪」として誘致された昨年の東京五輪が掛け声だけだったのと同じように、結果的に潤ったのは本土資本が中心で、見込まれた集客にも遠く及ばなかった。また、急激な開発と本土企業の侵出は、一次産業の疲弊や地元中小企業の倒産、資材高騰、土地の買い占めなどさまざまな社会問題を引き起こし、「海洋博不況」という言葉も生まれた。

本部町の海洋博会場には、スペクタクルな各国・本土企業のパビリオン群が林立し、「復帰」記念事業を飾っていた。なかでもメインテーマの「海——その望ましい未来」をシンボリックに示す建築物となったのが日本政府出展のアクアポリスだった(記事冒頭写真)。三菱重工広島造船所のドックで130億円以上を投じて建設された海上実験都市である。高さ32メートル、約100メートル四方、重量5000トンもある半潜水式の構造物が本部半島沖まで船で引かれて運ばれてきたのだ。「未来の海上都市」としてイメージされたこの施設は、発電装置や造水機、汚水処理施設、ゴミ焼却炉を備え、陸から独立した自給自足のシステムにより海を汚さないように配慮された展示・居住空間という触れ込みであったが、海洋博に伴う大規模開発が深刻な自然破壊を引き起こしていたため、「絵に描いた餅」となった。

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