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小原真史の「写真時評」【107】

「横浜写真」の中の日本

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――過去から見る現在、写真による時事批評

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フェリーチェ・ベアト「お茶の盆を持った女性」1863~68年頃(写真:Sepia Times/Universal Images Group via Getty Images)

東京五輪によって期待されたインバウンド収入は、コロナ禍の無観客開催によって露と消えた。それどころか数々の不祥事によるネガティヴな日本イメージを莫大に発信してしまった感もあるが、以前のように訪日客が戻ってくるのはいつになるのだろうか。

さて、日本が訪日客を本格的に受け入れ始めたのは、1858年に調印された日米修好通商条約により下田、箱館、横浜、長崎、新潟、神戸が次々と開港されてからのことだ。この条約により開港地の外国人居留地周辺に遊歩区域が設定され、商業活動のために江戸や大阪への滞在も許可された。訪日客が急速に増えていった幕末から明治にかけて日本イメージを発信したメディウムのひとつが、「横浜写真」だった。

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フェリーチェ・ベアト「介錯人」1866~67年(写真:Sepia Times/Universal Images Group via Getty Images)

「横浜写真」とは、日本からの土産物や輸出品として開港地で売られていた商業用の写真の通称である。全国各地の風景や風俗を写した鶏卵紙の写真に日本絵具で美しく手彩色されたもので、日本の伝統的な手工芸の技術と西洋伝来の近代的な写真のハイブリッドといえるものだ。当時は「写真画」と呼ばれており、生糸やお茶などと並んで輸出統計がとられているほど外貨獲得に貢献したようだ。

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