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写真時評~モンタージュ 現在×過去~

オリンピックの曙と黄昏

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――過去から見る現在、写真による時事批評

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1896年のアテネ五輪で会談した国際オリンピック委員会(IOC)の設立メンバーたち。(写真:Apic/Getty Images)

いささか旧聞に属するかもしれないが、東京オリンピック・パラリンピックの名誉総裁である今上天皇による開会宣言の際に、着席していた菅首相と小池都知事の態度に「不敬」という批判が集まった話題から始めたい。前回の東京オリンピックの際に昭和天皇が宣言をした様子を写した写真を何点か確認してみたところ、開会宣言をする天皇の後方には皇后や皇太子夫妻ら皇族の面々が着席して写っているものがあった。先例に従うのであれば、菅首相と小池都知事の着席は妥当だという解釈もできなくはない。おそらく首相の緊張感のない表情や慌てて立ち上がった2人の姿がみっともなく映った程度のことではなかったろうか。皇室とオリンピックというテーマでは、彼らの着席が「不敬」か否かという瑣末な問題よりも、日本オリンピック委員会前会長の竹田恒和(旧皇族の竹田宮恒徳王の三男)が東京招致の際の買収疑惑でフランス当局の捜査対象になっている件がうやむやになっている点のほうが注目されるべきだし、とりあえずここでは、オリンピックのような国家イベントの表舞台に皇室の面々が立っているという点を確認できればよい。

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「パリ万博における褒章授与」1889年、著者蔵

連日の「メダルラッシュ報道」にかき消された感があるが、今回の東京オリンピックでは、豪華な「おもてなし」を受ける「オリンピック貴族」にも注目が集まった。そもそもオリンピックは、フランスのピエール・ド・クーベルタンが男爵という身分を利用して支援者を集めて復活させたものだ。そして、彼を含む国際オリンピック委員会(IOC)の設立メンバー【1枚目】に伯爵や君主など特権階級の面々が名を連ねていたことや、当初オリンピックが掲げていた「アマチュアリズム」も経済的に余裕のあるブルジョワジーが金銭目当ての肉体労働者をスポーツから排除するための差別的な方便としての色彩が濃かったことを思い起こすならば、IOC自体が貴族的なるものを出発点にしていたことがわかる。このアマチュア規定は、1974年にオリンピック憲章から削除され、競技内容や規模も今日まで大きく変化してきたが、「オリンピック貴族」の伝統は、その裾野を広げながら継承されてきたことになる。

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