南相馬、福島、2011年
潮の満ち引きによって刻々と変化する海岸線をテーマにした笹岡啓子の連作「Shoreline」(海岸線)が「想起」や「記憶」の意味を持つ「Remembrance」という連作へと転換する契機となったのは、2011年の3月11日に東日本の沿岸部一帯を襲った津波だった。海と陸とが重なり、人為と自然とが交錯するアンビヴァレントな領域への継続的な注視を行ってきた写真家は、海岸線における内と外の均衡が大きく突き崩されたこの大震災の余波を10年以上追い続けることになる。
陸前高田、岩手、2021年
この連作に「想起し続ける」という現在進行形の意味が込められたのは、釜石市で出会った人から故郷の名を聞いたことが契機となったようだ。「隣の大槌町はもっとひどい。広島に原爆が落ちた時みたいだ」という言葉によって大槌町に足を向けた笹岡は、その後、福島第一原子力発電所事故の被害を受けた福島県の内陸部へも撮影範囲を広げ、今日までその変化を見つめてきた。
大槌、岩手、2011年
釜石の写真で特徴的なのは、津波の被害を受けた前景と水面が届かなかった山側の後景とが真っ二つに分かたれていることだ。焼け焦げた瓦礫で覆われた平野部が著しい変化にさらされているのに比べ、豊かな木々に覆われた山々の変わりのなさが際立つ。他方、原発事故の被害を受けた地域は、人の気配がない以外はそれ以前と見た目には変わりがないのだろうが、時の経過に伴う植物の繁茂によってかつての居住地の前景と後景とがシームレスにつながり、やがて除染作業員の姿や造成工事の重機なども写り込むようになる。
楢葉、福島、2012年
「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」。笹岡の別の連作「PARK CITY」の中心的な被写体となってきた広島市・平和記念公園の碑文に刻まれている言葉だ。ここで曖昧にされている「過ち」の内実に放射能汚染による被曝が含まれるのであれば、繰り返されてはならなかったはずの「過ち」のバトンが「フクシマ」へと手渡されてしまったことになるが、「復興」の掛け声のもとに整備された「公園」とモニュメントの建設もまた、被災地一帯で行われているため、「Remembr
ance」と「PARK CITY」とが近接し、分かちがたくなっている。
浪江、福島、2013年
3・11以降、我々は「Shoreline」も「PARK CITY」も以前とは同じようには見ることができなくなってしまった。「Shoreline」には自然の猛威を、「PARK CITY」には東日本大震災被災地の将来の姿を重ね合わせてしまうからだ。その意味で写真もまた、海岸線と同じように時間の経過と共に刻々と変化し続けているといえるのかもしれない。
野田、岩手、2013年
笹岡啓子(ささおか・けいこ)
1978年、広島県生まれ。「PARK CITY」(銀座ニコンサロン/2008年)、「Difference 3.11」(同/12年)、「日本の新進作家 vol.11 この世界とわたしのどこか」(東京都写真美術館/12年)、「種差 ―よみがえれ 浜の記憶」(青森県立美術館/13年)、「新・今日の作家展2017 キオクのかたち/キロクのかたち」(横浜市民ギャラリー/17年)ほか、個展・グループ展多数。10年に「日本写真協会賞」新人賞、12年にさがみはら写真賞新人奨励賞、14年に第23 回林忠彦賞を受賞。写真集に『PARK CITY』(インスクリプト/09年)、『Fishing』(KULA/12年)など。
小原真史
東京工芸大学准教授。著書に『富士幻景 近代日本と富士の病』などがある。