『リチャード・ジュエル』
1996年、オリンピック開催に湧くアトランタ。警備員のリチャード・ジュエルは会場近くの公園で不審なバッグを発見した。実はその中身は大量の釘が入ったパイプ爆弾だった。リチャードの機転により被害を最小限に抑えられたテロ事件だが、FBIはジュエルを容疑者として捜査していたのだ……。
監督:クリント・イーストウッド、出演:ポール・ウォルター・ハウザー、サム・ロックウェルほか。劇場公開中。
1996年7月27日、アトランタオリンピックでテロがあった。会場近くの公園でコンサート中にパイプ爆弾が爆発したのだ。仕掛けられた大量の釘が飛び散り、それが頭蓋骨を貫通して、ひとりの女性が即死、111人が負傷した。
しかし、もっと大きな被害になっていたかもしれない。爆発直前に爆弾が発見されて、すでに避難が始まっていなければ。
爆弾を発見したのは、リチャード・ジュエルという警備員。メディアは彼を英雄に祭り上げた。
たった3日間だけ。
3日後、地元紙アトランタ・ジャーナルの一面を飾ったのは、FBIが爆弾発見者のリチャード・ジュエルを爆弾テロの容疑者とみているという記事だった。
ジュエルは警察官志望の警備員。大学の警備員だったときは、警察官気取りでふるまって解雇されている。ジュエルは政治的には保守的で愛国者で銃器マニア。それは右翼テロリストの典型だ。
「今もジュエルが爆弾犯だと思っている人は多い」
映画『リチャード・ジュエル』の監督、クリント・イーストウッドは言う。
ジュエルを演じるは童顔ぽっちゃりのポール・ウォルター・ハウザー。彼が最初に注目を浴びたのは『アイ、トーニャ 史上最大のスキャンダル』(17年)。フィギュア・スケート選手トーニャ・ハーディングに雇われてライバルのナンシー・ケリガン襲撃を企てたドジで間抜けな犯人ショーン・エッカート役。次の『ブラック・クランズマン』(18年)でも白人至上主義団体KKKの大ボケ構成員。どちらも白人貧困層をマンガにしたようなキャラで観客の笑いを誘った。
リチャード・ジュエルの容疑を報じたマスコミも、33歳で独身、母親と2人暮らしでぽっちゃり童顔の彼を嘲笑した。「負け犬が英雄になろうとして爆弾テロを自作自演した」と決めつけた。
偏見による冤罪の映画をイーストウッドは何度か作っている。例えば『トゥルー・クライム』(99年)は無実の罪で死刑執行される黒人青年を、イーストウッドふんするセックス中毒気味の新聞記者が救うサスペンスだった。ところが今回、新聞記者は悪役だ。
アトランタ・ジャーナルのサツ廻り記者キャシー・スカラッグス(オリビア・ワイルド)はセックスをエサにしてFBI捜査官からジュエルに容疑をかけていることを聞き出し、スクープを勝ち取る。犯人にされたジュエルの自宅はマスコミに包囲され、プライバシーは破壊される。
イーストウッドはFBIがジュエルを疑ったのはプロファイリングによるものだとしている。これは犯罪のディテールと過去のデータから犯人の経歴や性格や人種を予想する捜査方法で、FBIのプロファイラーだったロバート・K・レスラー著『FBI心理分析官』(ハヤカワ文庫NF)は世界的なベストセラーになっていた。
しかし、プロファイリングは物的証拠に基づかず、「こんなことをする奴はこんな奴に違いない」という類型で犯人を決めつける。イーストウッドは『J・エドガー』でも、FBI創始者J・エドガー・フーバーを、偏見に満ち満ちた盗聴魔として描いた。
88日後、証拠がつかめなかったFBIはジュエルへの容疑を取り下げた。ジュエルの弁護士は彼を犯人扱いしたマスコミを訴えた。アトランタ・ジャーナル紙のスクープ自体は事実だったが、それを書いたスカラッグス記者は、心労で薬物に溺れ、01年、過剰摂取で死亡した。自殺とも言われている。『リチャード・ジュエル』で描かれる、彼女がセックスをエサにFBIからスクープを取るシーンはまったくの捏造で、彼女は死ぬまでソースを明かさなかった。
リチャード・ジュエルはその後、あこがれの警察官になったが、07年に太り過ぎが原因で死亡した。スカラッグス記者が死んだのと同じ、44歳だった。
まちやま・ともひろ
映画評論家。サンフランシスコ郊外在住。『映画の見方〉がわかる本 ブレードランナーの未来世紀』 (新潮文庫)、『今のアメリカがわかる映画100本』(小社刊)など著書多数。