サイゾーpremium  > 連載  > 大石始の「マツリ・フューチャリズム」  > 固定概念を払拭した画期的な【盆ダンス】

――21世紀型盆踊り・マツリの現在をあらゆる角度から紐解く!

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東京スカイツリーで毎年8月に行われている「墨田区民納涼民踊大会」の模様。ご当地音頭で大いに賑わい、見よう見まねで加わる外国人観光客の姿も。(写真/ケイコ・K・オオイシ)

 荻野目洋子にとってキャリア史上最大のヒット曲「ダンシング・ヒーロー」(1985年)。この曲が東海地区を中心とする広い地域で盆踊りの定番になっていった経緯については前回の連載で紹介したが、この風習を全国的に知らしめることとなったのが、岐阜県美濃加茂市で開催されている「おん祭MINOKAMO夏の陣」だ。毎年6万人もの来場者を誇るこの祭り最大の目玉は、ハイテンションな「ダンシング・ヒーロー」盆踊り。01年には荻野目本人がナマ歌で披露したことも話題となった(現在まで荻野目が出演し、「ダンシング・ヒーロー」を歌った盆踊り大会は「おん祭」のみ)。

「おん祭」が始まったのは94年。当初は地元の踊り保存会が運営を担当し、従来の盆踊りの様式に則ったスタイルで行われていたが、96年に突如「ダンシング・ヒーロー」が導入された。その変革を推し進めたのは、地元の盆踊り愛好者グループ、舞童の2代目会長を務める一方、主催団体のひとつである美濃加茂商工会議所青年部に所属する今井一彦氏だ。彼は「ダンシング・ヒーロー」を導入した経緯をこう説明する。

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