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【CYZO COLUMN CURATION】西田藍のアイドル的"制服"偏愛論【7】

【アイドル・西田藍】「選び取られたセーラー服の歴史」

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――ミスiD2013の文芸アイドルが業深き"制服愛"を語り倒す!

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読者のみなさま、またどこかでお会いしましょう!

 学校制服はいつから、今のような女の子が楽しむ服になったのか? 校服研究協議会が発行した『学校制服の歴史と変遷』という冊子の結びには「日本人の女性観の変遷をあらわすものでもある」とあり、女子学生服の歴史の波瀾万丈さが表れている。その流れは以下のようなものだ。

――明治に入り、日本初の女学校、東京女学校では、「和服で椅子に座るのは裾が乱れる」「もっと活動的な服を」ということで、男性の袴を着用することにした。他の学校にも取り入れられたが、明治16年、文部省は男袴の着用を禁止。その後採用されたのはバッスルスタイル。後ろが大きく膨らんだドレス姿で、ごく一部の女性が着用をした。しかし、洋装化を推し進めた森有礼文部大臣が暗殺されると、女学生たちの服装は和服に戻る。当時、「洋装ははしたない」と思う層はまだ多数派だったのだ。今の中学高校に当たる女子の中等教育機関、高等女学校が制度化されたのは明治32年。その次の年、やっと卒業式の衣装でもおなじみ、袴姿のハイカラさんスタイルが生まれる。この袴は女袴といって、男袴を改良したもの。関東大震災で女性に動きやすい服装をという機運が高まり、それ以前は反発があった女性の洋装化が進んだ。欧米ではすでに女性の服としてセーラー服が浸透していたこともあり、最初はミッション系の学校の外国人教師が運動着として導入したのがセーラー服。これが全国に普及した。

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