サイゾーpremium  > 特集  > 本・マンガ  > 【浅井健一】だけじゃない!仁義なき"誌上戦"

──インターネットがなかった時代における音楽専門誌が果たしてきた役割――。 高き影響力があったからこそ、インタビュー記事や、たった数百字のレビュー原稿に対しても編集に携わる人間(編集者・ライター)とアーティストの諍い、さらには音楽誌同士の論争も頻発。その熾烈なアーティストとのバトルを振り返りつつ、昨今の音楽誌のあり方を考察したい。

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(絵/小笠原 徹)

 2014年が始まったが、日本のポップスを愛する者は誰もが喪中である。ほかでもない、大瀧詠一が急逝したからだ。そのような大袈裟な物言いをしても足りないぐらい、彼は偉大な功績を残している。音楽家としてはもちろん、批評家としてもだ。

 たとえば、現在では自明の日本語でロックを歌うという行為。しかし、かつて日本語はロックに向かないとされた時代があり、その課題に極めて論理的に取り組んだのが、大瀧が69年に結成したバンド=はっぴいえんどだった。情報誌「新宿プレイマップ」70年10月号に掲載された座談会「喧論戦シリーズ ニューロック」で、「日本にロックを定着させるには日本語で歌うべきだ」と主張する大瀧と、「世界に出て行くためには英語で歌うべきだ」と主張する内田裕也の意見のすれ違いが、その後、いわゆる日本語ロック論争に展開していったことはよく知られている。その議論の場として機能したのが「ニューミュージック・マガジン」【1】(現「ミュージック・マガジン」。以下「MM」と表記)だった。70年代初頭、日本では音楽家と音楽誌が一緒になって、まだ始まったばかりの文化を育てようとしていたのだ。

ウェブ未発達時代に音楽誌が放つ影響力

「MM」の初代編集長である中村とうようは、69年4月に刊行された第1号の編集後記で「ロックがこれからどんな方向に発展して行くのか、みなさんと一緒に見守り、考えていきたい」と決意を示している。一方で、音楽家には容赦をしなかった。中村は11年7月に急逝しているが、その死にあたって、大瀧の場合と違って複雑な思いを述べる人が多かったのは、彼がそれぐらいアクの強い批評家だったからだろう。件の日本語ロック論争にしても、中村は内田の側に立ち、75年、はっぴいえんどの影響下にあるバンド=センチメンタル・シティ・ロマンスがデビューした際には徹底的に批判した。また、「MM」誌の特徴に、日本では珍しくレコード・レビューに点数制(10点満点)を導入したことがあって、中村の「気に入らなければ0点」を付けることも辞さない態度は、しばしば賛否両論を巻き起こした。卑近な例えをすれば、先立ってロックを取り上げていた「ミュージック・ライフ」(シンコー・ミュージック。98年休刊)が、グラビアをふんだんに盛り込み、ファンの欲望を満たす下から目線の雑誌だったとしたら、「MM」は批評に重点を置き、対立を恐れない上から目線の雑誌だったのだ。

 実際には、中村は議論を盛り上げるためにわざと偽悪的に振る舞っていた節もある。例えば、マイケル・ジャクソンの歴史的な大ヒット作『スリラー』に0点を付けた際は、「黒人のもっとも堕落した姿を見せられた気がする。今の黒人音楽を僕が嫌いなのはこういう手合いがエバってるから」「80年代という時代に、こんなにも安っぽい音楽が作られたことを後世の音楽家のための資料として永久保存しておくべきレコード」(83年3月号)と明らかに過剰な酷評を執筆。他にも、ヒップホップをメインストリームに押し上げた「Walk This Way」を収録したラン・DMC『Raising Hell』には5点を付けたものの、その理由が、ヒップホップの流行はすでに終わっており、「今ごろ出るラップのレコードはすべて5点以下。これが1年後ならすべて3点以下」(86年11月号)だというのだから、当然、近田春夫をはじめとする日本のラッパーたちは激怒。中村はそれを受け、次々号の編集後記で「近田春夫先生が某誌で、ケチョンケチョンに筆誅をお加えになったらしい。ウフフ、おもしろくなってきたゾ。ぼくって、人の悪口を書くのも大好きだけど、人に悪口を言われるのも大好きなんです」(87年1月号)などと書いているのだから、すべては彼の思うつぼだったのかもしれない。

 近年の「MM」では、以前の中村のような極端な批評記事は見受けられなくなっているものの、12年4月号では、久しぶりに筆禍事件が起こった。表紙を飾ったジャズ・ミュージシャンの菊地成孔が、自身のブログで「これを機にMMをNG媒体とさせて頂きます」と宣言し、同誌を徹底的にこき下ろしたのだ(「菊地成孔の第三インターネット」12年3月23日の記事「ミュージックマガジンから撤退します」)。そこで槍玉に挙げられているのは、松尾史朗と真保みゆきという2人のベテラン・ジャズ批評家によるレビューなのだが、前者は「妄想で澱み、濁った音塊(中略)夢中になれる人はどうかご自由に」と皮肉に満ち、後者は「サービス精神旺盛な人だなァ~、どういう方向から見ても。半分呆れ、半分驚嘆しながら聞いた」と奥歯にものが挟まったような文章で、ただ、中村と違って芸もなく、殊更反応する必要もなく思えることから、3者の間に、もともと確執があったのではないかと想像してしまう。しかし、それより興味深いのが、菊地が後半に記した以下の文章に、「MM」の立ち位置の変化がはっきりと表れていることだ。「長い間MMは、MMが取り上げてくれるのだから、それは凄いことなのだから、ウンコなすりつけられても我慢するのだといった漠然とした我慢の集積に依ってここまで来ました。しかし現在、少なくともワタシにとっては。と慎ましく申し上げますが、MMで褒められたら売れるとか、MMで褒められたらリスナーの世論が傾くとか、あるいはその逆、といった実効力はMMに全くありません。ワタシの視点からは、MMはこうして、なんの実効力もないまま、温く特集したり、ウンコなすりつけたりして、楽しく毎日暮らしている訳です」――確かに、中村が起こす炎上が活発な議論を生んだのに対して、「MM」12年4月号のそれは同誌の弱体化を印象付けただけだった。そういった事態はなにも「MM」に限ったものではなく、この騒動前後に音楽誌の休刊が相次いでいることからもわかる通り、業界全般にいえることなのだが。

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