世界で初めて写真が撮られたニセフォール・ニエプスの実験室内。
1827年7月、ニセフォール・ニエプスは、ブルゴーニュ地方のサン=ルゥ=ド=ヴァレンヌ村にある館の二階の窓から世界初の写真撮影に成功する。カメラは「小さな部屋」という意味であるから、実験室に穿たれた窓より差し込んだ光がレンズを通ってもう一つの部屋(=カメラ)に写しとられたことになる。カメラの中のカメラ。ニエプスの最初の写真から思い浮かぶのはそんなイメージである。「ル・グラの窓からの眺め」と題されたこの写真によって、ニエプスの実験室からのありふれた眺めは歴史的な風景として知られるようになった。中庭の鳥小屋や屋根、梨の木などが写っているとされるこの写真は、事物を一瞬のうちに写しとるという人類の夢が成功したことを示していた。
世界初の写真の複製が壁に掛けられている森山大道の仕事場。
しかしながらニエプスが「太陽の描いたもの」と名づけたこの技法は、「一瞬」というにはあまりにも長い露光時間を必要とし、「成功」というにはあまりにも不鮮明なイメージであった。数時間分の光が一枚の原板に焼き付けられていることもあって、写っている対象についての事前の情報なしでは判別がしがたい。人間の手を借りることなく、太陽の御業によってイメージが生成されるというのは、初期の写真家たちが自覚していた写真の特質であったが、その光は一旦焼き付けた画像を劣化させもした。現在消失しかかっているという「ル・グラの窓からの眺め」はテキサス州立大学収蔵庫の中で厳重に保管されており、人の眼に触れる機会はほとんどない。われわれが「現存する最古の写真」として認識しているものは、消失間際の像を複写・修正したものなのである。
フランス・ブルゴーニュ地方の小さな村サン=ルゥにあるニエプスの実験室。
粒子が荒れ、ピントがボケたその画像はまるで「アレ・ブレ・ボケ」と呼ばれた「プロヴォーク」の写真のようにも見える。ニエプスによる最初の写真の撮影から186年後、森山大道は写真の聖地とも言うべきニエプスの実験室を訪れ、自らが表現の手段としてきた写真が産声をあげた場所を撮影した。写真を「光の化石」と定義する森山の写真が喚起するフェティッシュな感覚は、「ル・グラの窓からの眺め」が体現するような写真の触覚性と通底する。森山は先達たちにオマージュを捧げ、過去のイメージへと旅をすることで自らの血統を確認してきた。その意味で森山の写真には先達たちによる複数のイメージが地層のように重なり合い、反響しているのである。ニエプスの最初の写真はその後生まれる無数の写真の源として人々の脳裏に焼き付いているのかもしれない。
小原真史
1978年、愛知県生まれ。映像作家、キュレーター。監督作品に『カメラになった男―写真家中平卓馬』がある。著書に『富士幻景―近代日本と富士の病』ほか。
『実験室からの眺め』
1827年7月、ニセフォール・ニエプスというフランス人によって世界初の写真が撮られた。その写真の聖地サン=ルゥを訪れ、186年前にニエプスが撮影した実験室からの眺めを再び写し撮った写真家・森山大道の作品集。
発行/河出書房新社 価格/3990円(税込)
ニエプスが写真の実験に使用した材料。
ニエプスが写真の実験に使用した機材。