「伊豆」(1978年)
「表象」「上演」「代理」を指す「representation」という言葉には「喪の黒布で覆われた空の棺」という意味があるという。写真も不在の死者を「再現前」させるメディウムのひとつだろう。古屋誠一はこの写真によって亡き妻の「喪の作業」を長く続けてきた。
「ウィーン」(1983年)
1978年、古屋はオーストリアのグラーツでクリスティーネ・ゲッスラーと出会い、結婚する。初めて彼女を撮影したのは、古屋が下宿するアパートだった。このときから古屋はファインダー越しに彼女の姿を見続け、クリスティーネもまるで役者のようにさまざまな表情を見せてゆく。2人にとってカメラを介したコミュニケーションは、日常の一コマだったはずだ。その後2人の間に息子が生まれ、クリスティーネも母親としての雰囲気をまとい始める。国際結婚ではあるが、どこにでもあるような幸せな家庭のように見える。
「ウィーン」(1983年)
1983年頃からクリスティーネは演劇の勉強がしたいと言い始め、精神的に不安定な状態にたびたび陥るようになる。古屋の向けるレンズが彼女の役者への希望を大きくしたのだろうか。それとも古屋と会う前から役者になりたいという思いを胸に秘めていたのだろうか。そのことを本人に尋ねることはもうできない。1985年、クリスティーネは東ベルリンの高層アパートから身を投げて、この世を去ってしまったからだ。あとには7年8ヵ月の結婚生活で撮りためられた写真が遺された。
「ローストック」(1985年)
古屋は写真の中の彼女に幾度となくその理由を聞いただろう。そして、自分はその死にどのようにかかわったのか自問し続けてもきたはずだ。無論、返事も答えもない。それは、死者の声なき声に耳を傾けるような終わりのない作業なのだ。身近な人の死の残響は生者のかたわらでしばらくの間鳴り続けるものだが、古屋の場合は手元に遺された写真がその残響をいつまでも留め、時に増幅もした。こちらを見つめ返す彼女のまなざしが、いつまでも古屋の意識を捉え続けたのだろう。写真さえ撮らなければ、この「喪の作業」ももっと早く終えられていたのかもしれない。写真の中の彼女の笑顔は、あのときこうしていればという思いを強くもするだろう。クリスティーネはすでにこの世に存在しないが、その存在感は古屋の中で彼女が生きていた頃よりも大きくなったという。この世に居場所を失った死者は生者の中に棲みつく。存在感と不在感は別のものではなく、ともに大きくなることがあるのだ。
「グラーツ」(1985年)
クリスティーネが役者になる夢は、ついに叶わなかった。しかし役者に憧れた彼女の物語を、古屋が写真という舞台で上演(represent)しているというのは美しすぎる結論だろうか。
小原真史
1978年、愛知県生まれ。映像作家、キュレーター。監督作品に『カメラになった男―写真家中平卓馬』がある。著書に『富士幻景―近代日本と富士の病』『時の宙づり―生・写真・死』(共著)ほか。
INFO
古屋誠一の作品「Trace Elements」がIZU PHOTO MUSEUM(静岡県長泉町)の「ふたたびの出会い」展(9月29日まで)で展示中。