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写真時評~モンタージュ 現在×過去~

フジヤマ・ゲイシャの国

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フェリーチェ・ベアト『富士山』(1863~70年/IZU PHOTO MUSEUM蔵)

「富士山と信仰・芸術の関連遺産群」が世界遺産へ登録されるという。均整のとれた美しい稜線を持つこの山は日本人だけでなく、日本を訪れた外国人の眼も引きつけてきた。幕末に日本が開国した際には多くの外国人旅客が押し寄せ、最大の開港地となった横浜の居留地からは富士山の姿がよく見えたという。こうした開港地では外国人旅客向けの土産物として「横浜写真」と呼ばれる産業が発達した。日本の風景や風俗を撮影した写真を手彩色し、蒔絵や螺鈿細工の表紙のアルバムに収めたもので、富士山は被写体としてだけでなく、写真館の背景画や商標としても採用された。西洋伝来の写真術と日本の伝統的な技法を接合した和洋折衷の「横浜写真」は人気を博し、生糸や緑茶などの輸出品とともに外貨獲得に貢献した。

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日下部金兵衛『題名不詳(富士山巡礼)』(1880~90年代/IZU PHOTO MUSEUM蔵)

 開港地を拠点とする写真師たちは、外国旅客が期待する日本イメージにこたえることで商業的な成功を収めた。この「横浜写真」の元祖となったのは横浜に写真館を構えたイタリア系イギリス人のフェリーチェ・ベアトである。従軍写真師として極東の島国の出来事を配信すべく来日したベアトは写真以外にも商売の手を広げていた。このベアトに弟子入りした日下部金兵衛ら次世代の日本人写真師たちが「横浜写真」をより洗練させていくのであるが、彼らがアピールしたのは近代国家としての日本ではなく、欧米人のエキゾティシズムを刺激するような前近代的な日本であった。いわゆるフジヤマ・ゲイシャ的な日本イメージが強化されたひとつの要因としてこの頃大量に海外に流出した「横浜写真」や浮世絵などを挙げることができるだろう。「横浜写真」は日本が近代化を目指して船出した一時期に、東西の交点となった開港地で産業として花開いたが、近代化とともにそのモチーフであった風景や服装も変容し、1900年代に写真製版が可能になるとその役目を終えることになる。

小原真史
1978年愛知県生まれ。映像作家、キュレーター。監督作品に『カメラになった男―写真家中平卓馬』がある。著書に『富士幻景―近代日本と富士の病』『時の宙づり─生・写真・死』(共著)ほか。

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日下部金兵衛『踊り』(1880~90年代/IZU PHOTO MUSEUM蔵)
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撮影者不詳『題名不詳(二人の農民)』(1880~90年代/IZU PHOTO MUSEUM蔵)
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玉村康三郎『題名不詳(人力車に乗る女性)』(1880~90年代/IZU PHOTO MUSEUM蔵)
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玉村康三郎『題名不詳(人力車と和装の外国人)』(1880~90年代/IZU PHOTO MUSEUM蔵)
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