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第1特集
宗教と精神病の類似点を探る

教祖さまは精神病だった? 宗教と精神病の類似点に見る"聖性"の異常性と正当性

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――統合失調症の患者の中にしばしば見られる宗教的な妄想は本来の宗教とは異なるものなのか。教祖やシャーマンの神がかりに関する考察も試みながら、「宗教と精神病」というタブーに挑む。

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 広辞苑で「宗教」の項を引くと、「神または何らかの超越的絶対者、或いは卑俗なものから分離され禁忌された神聖なものに関する信仰・行事」とある。つまるところ宗教とは、それぞれの教えによって程度の差こそあれ、おしなべて神や聖なるものなど、我々が普段生活している俗なる世界とは異なった価値観を基底とする世界であるだろう。そして、広辞苑の記述にある「超越的絶対者」という存在が持つ指向性が、宗教というものを読み解くひとつの要となるといえる。

 そういった「神または超越的絶対者」にまつわる言説が、精神科の診療の領域の中で現れることがある……などと書いたら、特定の宗教を信じる人からすると、極めて不遜な印象を持たれるかもしれない。だが、精神医学の領域の中で、宗教的な妄想やビジョンは、古くから取り沙汰されてきたのである。例えば「森田療法」という精神療法を始めた戦前の精神科医、森田正馬は、神がかりや狐が憑いたなどとされていた状態を「祈祷性精神病」と名付け、感動をもととして起こる一種の自己暗示性の精神異常と規定した。この記述は精神医学用語を網羅した『精神科ポケット辞典』(弘文堂)によるものだが、同書を引くと、さらに「宗教妄想」という用語までが存在する。その説明には、「自分は偉大な預言者、キリストの再現である、天啓を受けたというような宗教妄想をいう。神の声を聞いたり、姿を見るという幻覚から発展する場合もある」という。しかし、「天啓を受けた。神の声を聞いた」というような言動は、歴史上、宗教の教祖とされる人物は、ほとんどが言ってきたはず。人々の支持を集め、教祖となる人たちと、精神病とされてしまう人たちには、どのような違いがあるのか。そのような問題意識から、「宗教と精神病」の極めてセンシティブな関係について考えてみたい。まずは、専門家が記してきた文献から見てみよう。

宗教的神がかりと狂気のボーダーラインとは

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イタコで有名な霊山・恐山は下北半島の中央部に位置しており、日本有数の観光名所となっている。

 10年に発行された『統合失調症と宗教』(星川啓慈・松田真理子共著/創元社)という本は、題名通り、統合失調症と宗教の関連性について、さまざまな角度から考察している。同書の中で、京都文教大学准教授の松田真理子氏は、聖なるものを感じた体験や、幻覚・妄想などの体験を持っている統合失調症の患者たちにインタビューをした経験から、神の声を「聴く」体験を持つ人や、神の姿を「見る」体験を持つ人、その両方を同時に併せ持っている人が多く存在すると語っている。

 自身の統合失調症の発病の様子を克明に記録した手記『ボクには世界がこう見えていた 統合失調症闘病記』(小林和彦/新潮文庫)では、発病して精神科病院へ入院させられる直前に、さまざまな幻聴や幻視を体験したことについてこう書いている。

「僕はこの夜のことは、肉体的苦痛もあったが、人間の心は皆つながっており、ある種の精神状態に入れば誰とでも交信できるという認識を新たにした幸福な体験をしたと思っている。宇宙の真理にまでは触れられていなかったが、それは永遠の謎としてとっておこう。僕はこの晩を境に新しい人間に生まれ変わったこ
とを確信した」

 同じく統合失調症患者の手記『隠れた薬害? 精神分裂病』(夏来進/文芸社)の内容は、さらに宗教との類似を思わせる。鹿児島ラ・サール高校から東京大学医学部というエリートコースを歩んでいた著者は、研修医時代に、「私は神だ」「お前は祝福された存在だ」「私は、お前をより高い次元の素晴らしい所へ導くためにやってきたのだ」といった声を聞く。その声に突き動かされるように著者は自分なりの宗教観を編み出し、その考えを街角に立って話すようになった。そのうち、そんな彼の話に耳を傾け、お布施をしようとする人まで現れたという。しかし、興奮状態から医学部の教授と乱闘事件を起こした彼は、精神科病院に連れて行かれ、精神分裂病(当時の呼称)と診断される。大量の抗精神病薬を投薬され、3カ月の入院をさせられた彼が退院して、かつての宗教活動の仲間に「すみませんでした。私は精神病でした」と告げると、仲間たちは呆然となったという。

 このような人たちが、精神的破綻に至らず、その宗教的ビジョンをうまく他人に伝えることができ続けていたら、ひとりの宗教家たりえたのではないか、などと考えてしまうことは、宗教に対する冒涜なのだろうか。

 今度は、幕末から明治といった混乱した時代に生まれた新宗教の教祖を見てみよう。代表的な新宗教のひとつ「大本教」の教祖・出口なおは、貧困に加え、自分の子どもたちの不幸が重なるといった苦難の人生の中、1892年、56歳の時に神がかり状態となる。「艮の金神」という神との問答を断食状態で続け、水を浴びる水垢離を75日間続けた。周囲はこれを狂気と見なし、座敷牢に押し込めたが、その牢の中で釘を使って、のちに「御筆先」と呼ばれることになる神の言葉を刻む。ちなみに、彼女は文盲のはずであった。このなおの神がかりについて、『出口なお』(朝日選書)を書いた一橋大学名誉教授の安丸良夫氏は、同書の中で、「狂気と神がかりには本質的な区別はなく、もし区別するとすれば、低級な霊や悪霊がつくことが狂気であり、正しい霊がつくことが神がかりと考えられたのである」と述べている。出口なおの場合は、なおの神がかりに崇拝の念を抱き、その娘婿となった出口王仁三郎が、カリスマ的なリーダーとして教団の組織化を成功させたこともあり、今も続く新宗教の教祖として歴史に名を残すこととなった。同様の神がかりは、幕末期に生きた天理教の教祖、中山みきなど、さまざまな新宗教の教祖にも見られる。

 これらの文献や宗教について、『統合失調症と宗教』のもうひとりの著者で、宗教学、宗教哲学が専門の星川啓慈・大正大学教授はこのように語る。

「例えば、大本教の出口王仁三郎が、神話的世界のストーリーを口述筆記させた『霊界物語』(八幡書店)などでは、一般の常識を超えた内容が書かれており、もし現在の日本で、同じような内容を真実だと思って人に話していたら、常軌を逸していると思われる可能性は高いでしょうね。それがひとつの教団として成立できたのは、そのような世界に共鳴して同調する人が周りにいて、うまく広がって力を持ったからではないでしょうか?(先ほど文献の例に挙がった)病院に連れて行かれて精神病と診断されてしまった研修医の例も、別の時代に活動を始めていたら、また違った展開を見せていたかもしれません」

宗教的な文脈の中でシャーマンは生み出される

 宗教的な言動を、宗教的な文脈の中で位置づけられる周りの環境があれば、その人は宗教者たりうるが、周囲から宗教的な文脈の中でとらえてもらえないと、時として精神病患者というレッテルを貼られてしまう、ということもあるのかもしれない。

 聖心女子大学准教授で、宗教心理学が専門の堀江宗正氏は、このように語る。

「神がかりの状態になったシャーマンを職能者として受容する文化は、かつてはあちこちにありました。ところが、都市化、世俗化が進んで、そのような文化が崩壊すると、シャーマンの卵として認められたはずの人が、精神病を患っているように見えてしまいます。周囲の者によって不本意なまま精神病院に連れて行かれ、近代精神医学の診断基準で精神病と診断され、長期間隔離されると、シャーマン文化からはますます離れます。文化精神医学では、入院したほうが、かえって治りにくくなるということが指摘されています」

 尋常ならざる精神状態に置かれた人が、聖なる世界の声を聞く人として社会に受け入れられる例として、世界各地に見られるシャーマンの文化が挙げられよう。恐山のイタコや沖縄に今でも存在するユタと呼ばれる女性の占い師も、そのようなシャーマンの一種だ。『日本大百科全書』(小学館)のユタの項によれば、「ユタは、小さい時から異常な宗教的な精神現象を体験した人が、しだいに自覚して宗教体験を積み、占い者になることが多い」という。前出の堀江准教授はこのように説明する。

「沖縄のユタは、若い頃に神がかりのような状態を経験し、先輩のユタから『お前はユタになる素質がある』と見いだされます。そして、弟子入りし、ユタとしての訓練を積み、役割を与えられることで、激しい症状も治るそうです。このような症状は、巫者になる前段階の病気という意味で巫病(ふびょう)と言われますが、幻覚を伴うので精神疾患のようにも見えます。しかし、シャーマンを受け入れる風土では、能力の発露だと解釈されます。ユタとして尊敬を受けて働くことは、社会的適応につながります。社会的に適応していれば病気とは言えないでしょう。心理学では、ストレスを低減するための行動をコーピング(対処行動)と言いますが、シャーマニズム文化では宗教がコーピング、あるいは治療として機能しているとも言えます。ところが近代社会のなかで孤立すると、シャーマンは病人と見なされてしまうのです」

 精神分析の父とされるフロイトは、精神病者と宗教的行為の関連について、論文『強迫行為と宗教儀礼』(フロイト全集9 岩波書店 所収)の中で、日常の中である行動を徹底的に繰り返さずにはいられない強迫神経症の患者と、キリスト教のミサなどの宗教儀礼には通じるものがあると述べている。

 これについて堀江准教授は、「同じ反復行為でも、社会がそれを有意味だとするなら、社会的適応が可能なので病的とされません。しかし、個人で抱えて、意味を見いだせないまま、しつこく繰り返してしまうなら、病的と見なされてしまうでしょう」と解説する。

 また、前出の星川氏は、宗教体験と病的体験の関連についてこのように解説する。

「宗教的な神秘体験はいわゆる宗教家に起こるだけではなく、精神病とされる人にも、てんかんの人にも起こることは確かで、その際の脳内の変化を検証する脳科学の研究も進んでいます。ただ私見としては、その体験について、『この人の場合は宗教体験』『この人の場合は病気』などと分けて考えることはできないし、その必要もないと思います。例えば、17世紀の哲学者のパスカルは短い時間ながら神を見た経験があると自ら語っていますが、それは病気の症状だったのかもしれません。しかし、本当に神がその時、自らの姿を現したのかもしれないのです。それは決して確定できないことです。ただあえて言うならば、宗教体験なのかそうでないのかは、周りが決めることだと言えるかもしれません。だから、伝統宗教の教祖のような言動をする者がもし現代の日本にいたら、理解者を得られず病気のレッテルを貼られることはあるかもしれないし、現代では病気とされる人が紀元前の昔に生まれていたら宗教を起こしていたかもしれないということは、仮説としては否定できないでしょう」

宗教の創造力と脳内現象の関係とは

 さてここからは、古い歴史を持つ世界宗教を見てみよう。

 聖書の世界では神の言葉を聞き、人に伝える者のことを「預言者」と呼ぶ。旧約聖書には、さまざまな預言者が登場するが、『統合失調症と宗教』の著者のひとりである前出の松田真理子氏は、同著の中で、「旧約聖書にはサムエルから始まって約500年の間に約20名の預言者が登場するが、同じ預言者のなかにも幻聴型と幻視型がいる」として、「紀元前9世紀に登場したエリヤは、神の囁く声を聞いた(旧約聖書 列王記 上 一九章)幻聴型の預言者であり、バビロン捕囚があった紀元前6世紀のエゼキエルは、散乱した骨が再び組み立てられ肉で覆われていく幻を見た(旧約聖書 エゼキエル書 三六章)幻視型の預言者なのです」と述べている。

 前出の星川啓慈氏も著書のひとりとして名を連ねる、『脳科学は宗教を解明できるか?』(春秋社)の中で、旭川医科大講師の杉岡良彦氏は、医学者としての立場から、宗教体験によって脳内に変化が起こることは確かに確認されるとしながらも、「それが意味するのは宗教体験がその当事者によってリアルな体験として知覚されているという事実であり、宗教体験が脳内のプロセスによって生み出されることを必ずしも意味しない」とした上で、「科学が否定することも肯定することもできないのは、『神がその宗教体験の源泉である』というその主張なのである」と述べている。つまり、いくら脳科学の文脈で宗教体験を語れるとしても、神の存在を否定することにはならないという立場だ。同じように、いくら宗教を精神医学の観点から語ることが可能だとしても、それがすなわち宗教を否定することにはつながらない、と言えるかもしれない。

 星川氏は、宗教をめぐりさまざまな意見があることについて、このように語る。

「例えば、イギリスのリチャード・ドーキンスのように、科学的見地から『神は妄想である』(早川書房)という題名の本を記すなど、宗教に対して非常に否定的な見方をする人もいれば、医学の知識も組み込みながら神の存在を説明しようとする科学者もいます。私個人で言えば、証明することができないことはわからない、という不可知論の立場でしょうか」

 宗教とは、本質的に人知を超えた世界について語るものであるがゆえに、突き詰めていくと理解不能な地点に突き当たる。世界的に見れば大半の人々がなんらかの宗教を信じ、人類同様の長い歴史を持っているのであるから、病的な世界との類似点が見られるからといって、宗教を否定する根拠とするのは早計に過ぎるであろう。前出の星川氏の見解はこうだ。

「精神病というとネガティブなイメージを持つ人が多いでしょうが、実は精神病は創造的なものもたくさん生み出しているのです。人類史上最も優れた自然科学者とされるニュートンも統合失調症だったとされているし、芸術家や文学者の多くも精神的に病的な側面を持っているといっても過言ではありません。だから私は、病気も宗教も共に人類の文化に厚みを与えてくれたと思うし、それらが生み出した恩恵のもとに現在の我々は生きているのだと思っています。すなわち、たとえ病気と宗教に重なる部分があるとしても、それを否定的にとらえる必要はないと思うのです」

 人類の文化にとって欠かせない存在であり続けてきた宗教の奥深さは、さまざまな側面から読み解くことができるのは、間違いないのだ。

(取材・構成/里中高志)

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