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第1特集
聖人たちの絵はなぜエロい?【1】

聖なる素材がなぜかエロ化!? キリスト教における裸像の進化

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――「美術」という視覚造形の観点から「宗教と性」についてまとめよ、というお題をいただいたわけだが、欧米において美術という分野と関連の深い宗教といえば、何をおいてもまずはキリスト教であろう。さて「キリスト教において、性はどのように扱われてきたか?」と問われれば、「肉欲は精神を堕落させる悪の誘惑であるとして、徹底的にタブー視されてきた」と答えざるを得ない。

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『ヌードの美術史』(美術出版社)

 事の起こりはアダムとエヴァの物語に遡る。エデンの園でなんの不自由もなく暮らしていた2人は、神から禁じられていた知恵の木の実を食べてしまう。すると2人は自分たちが裸であることに気づき、やおら恥ずかしくなってイチジクの葉で局部を覆った。つまり、それまで彼らは裸で暮らしてはいても、互いを性欲の対象として認識することはなく、したがって男女の交わりもなかったということだ(彼らが男女の交わりを持つのは、楽園を追放された後のことである)。

 アダムとエヴァが冒した神に対する裏切り、および神に対する不誠実という罪、これが人間の「原罪」とされ、「その原罪は男女の交わりを通じて後々まで子孫に受け継がれていく」という考え方も生まれた(「原罪DNA遺伝説」とでも呼ぶべきだろうか)。かくして生殖行為には常に罪の意識がまとわりつくことになり、裸体そのものの視覚化も、肉欲や劣情を刺激するものとしてタブー視されるに至る。

 話の筋道としては非常にわかりやすいだろうが、ここで「え?」と思われた方もいるのではないだろうか。「西洋美術といえば、ヌードじゃね?」と。

 確かに、西洋美術史を彩る多くの名画・名作には、男女を問わずヌード像が非常に多い。しかし、それらの大半は、キリスト教誕生以前の古代ギリシャ・ローマ時代の信仰体系(ギリシャ・ローマ神話)に由来する神々や主題の表現なのだ。古代ギリシャ世界で発展した人間讃歌に基づく理想化された美しく晴朗な裸体表現は、キリスト教がローマ帝国の国教となった4世紀以降は、徐々に影を潜めていく。

聖書に書いてあれば裸体を描いてもOK

 では、キリスト教美術において裸体イメージが完全に姿を消してしまったのかといえば、実はそうではない。たとえば、エデンの園のアダムとエヴァのように、「裸であること」が聖書に明確に記述されている場合は、裸体の視覚造形化が許された。アダムとエヴァは、中世を通じて数多くの写本や壁画、壁面レリーフなどで、知恵の木の実と共に描写されるケースが多い。

 聖書には裸であるとは記述されてはいないが、最後の審判図では天国に召される人々と地獄に落とされる人々が裸体で表現されるようになる(余談だが、地獄図に関しては洋の東西を問わず、悪魔や獄卒に折檻されて責め苦に喘ぐ人々が素っ裸で表されている点も興味深い。地獄に裸はつきものなのだろうか)。

 中世ではアダムとエヴァ、あるいは最後の審判以外に人体が裸体で表現されることはなかったが、古代ギリシャ・ローマ文化の再興の機運が高まるルネサンス期以降になると、現実味を帯びた人体表現と相まって、ヴィーナスを始めとするギリシャ神話に登場する神々や、聖書に記述された物語を主題とする裸体像、特に女性裸体を主題とする作品もさかんに描かれるようになっていった。つまりは、女性の裸身を描くための口実として、信仰や倫理に関する教訓という体の良い透明な衣が与えられたといっていいだろう。

 たとえば、アダムとエヴァという主題にしても、神への裏切り行為という深刻な罪の意識は薄らいでいき、次第に男を誘惑する女「誘惑者エヴァ」という側面が強調されるようになっていく。また、入浴中の美女という主題も、聖書の中で語られる物語であれば一応OKということになった。その例のひとつは、部下の妻バテシバの入浴姿を見てしまったイスラエルの王ダヴィデの物語。彼は部下を過酷な戦場に送り込んで戦死させ、バテシバを妻にしてしまう(もちろん神はこの行為に怒り、ダヴィデに罰を与える)。

 また、やはり美しい人妻スザンナの水浴姿を覗き見して、関係を迫るえげつない2人の長老の物語もよく描かれた(高潔な魂のスザンナはこれを拒否。長老たちの奸計により姦淫の罪を着せられそうになるが、預言者ダニエルの炯眼により罪を免れる)。

 イスラエルの民の歴史をまとめた壮大な『旧約聖書』には、このほかにもエロティックな想像を刺激する男女のドラマの記述が多々見受けられる。たとえば、神に滅ぼされたソドムとゴモラという街の物語(あるいはサムソンとデリラ、ユディトとホロフェルネスなど)。

 神は、堕落した街ソドムに住む実直なロト一家を助けるべく街を離れさせるが、決して振り返ってはならないという神の忠告に背いたロトの妻は、塩の柱になってしまった。ロトと2人の娘たちは人里離れた山奥でひっそりと暮らす。しかしこのままでは良縁には恵まれないと判断した娘たちは、酒を飲ませて父親を酩酊させて交わり、子孫を得る。

 神の火に焼かれる街と近親相姦というなんとも壮絶な物語なのだが、時代が下るにつれてこのテーマも次第に世俗化し、にやけたエロ爺と老人をたらし込む若い女のカップリングにしか見えないような不謹慎な(?)作品も生まれるようになる。

 とはいえ、これらの性的想像を刺激する主題の作品は、不特定多数の信者が集まる聖堂内部の祭壇や礼拝堂などに描かれたり、陳列されたりすることはなかった。あくまでも個人の注文主のために制作され、プライヴェートな空間で限られた人々によってのみ鑑賞されたという点に留意しておこう。愛の女神ヴィーナスを描いた官能的な裸体画も、新婚の祝いの品として贈られ、夫婦の寝室にかけられるのが常であった。ギリシャ神話主題も含めて、裸体画や裸体彫刻が、特権階級だけでなく誰もが見ることのできる公の空間に展示されるようになるのは19世紀になってからのことだ。

聖人像に加わっていく世俗的な魅力

 裏を返せば、人の欲望を信仰の鎖で縛り付けることはできない、ということなのだろう。口実さえあれば、人はいかようにしてでもタブーをくぐり抜けようとする。ここでは作例をあえて挙げないが、磔刑という残酷な刑を受けるキリスト像を思い浮かべてみてほしい。身体的な苦痛と人類の罪を贖うという壮大な試みに引き裂かれたイエス・キリストの肉体イメージそのものが、信者たちの心身にダイレクトに働きかけ、甘美な苦痛さえ引き起こしていなかっただろうか。そう思って眺めると、十字架上のイエスの身体が妙な生々しさを帯びていたり、時には仄かに女性的な造形を施されていたりすることに気付くだろう。禁欲を美徳としつつ、その美徳の帳の陰にはエロスの焔が慎ましやかに揺らいでいるかのようだ。

 このようなまなざしは、残酷な処刑を受けながらも信仰に殉じた聖人たちの姿にも注がれた。中世からルネサンスを経て時代が下るにしたがい、聖人像には、信者たちの感情に訴えかけるような世俗的な魅惑が加わっていく。おびただしい矢を射られる若々しい身体が眩しい聖セバスティアヌスはその代表的な例である。正確な観察に基づいたマンテーニャの作例にはある種の荘厳さが漂うが、少し時代が下るソドマの作品では、うっすらと歓喜の涙を浮かべて身をよじった美青年へと変貌を遂げている。

 男女を問わず殉教者たちの処刑図は、いかに彼らの肉体が苛まれたかという描写に腐心している節すらある。生きたまま内臓を引き出される、皮を剥がされる。女性ならば、乳房を切り取られる、裸にされて引き回される等々。特に女性の身体が焦点となる場合には、やはりなんらかの下心、あるいはサディスティックな欲望が潜んでいたのではあるまいか……。いや、男性の殉教図にしても、たとえば聖セバスティアヌスの若々しい裸体に密かなまなざしを注いでいたのは、女性信者だけであったのかどうか(三島由紀夫は『仮面の告白』で17世紀の画家グイド・レーニによる聖セバスティアヌスに言及している)。

 きわめてわかりやすい例を最後に挙げておこう。ダン・ブラウンの『ダ・ヴィンチ・コード』ですっかりおなじみになってしまったマグダラのマリアである。彼女の名前は『新約聖書』に登場するものの、実はどのような人物だったのかははっきりしていない。しかし、いつの間にか福音書に登場する姦淫の女や悔悛した娼婦と同一視されるようになり、美術作品では金髪の美女として描かれるようになった。キリストの昇天後、毛皮をまとって南仏の洞窟で修行に励んだという伝説が残されている。そのため、毛皮と長い髪に覆われた修行中の異様な姿で表されることもあったのだが、やがて美しい衣装をまとった美女、そして片肌脱ぎとなり、さらには衣すら脱ぎ捨てた姿へと、男性の欲望に応えるかのごとくに時代と共に変身していく。19世紀には素っ裸で洞窟に寝そべり悔恨の涙にくれるという、あられもないマグダラ像まで生まれた。ここまでいじり倒された聖人像も珍しい。いやはや。やはり人の欲望は、信仰の鎖では抑制できないものなのだ。

(取材・文/藤原えりみ)

藤原えりみ(ふじわら・えりみ)
1956年、山梨県生まれ。美術ジャーナリスト。東京藝術大学大学院美術研究科修士課程修了。武蔵野美術大学、女子美術大学、東京藝術大学などで非常勤講師を務める。著書に『西洋絵画のひみつ』(朝日出版社)、共著に『西洋美術館』(小学館)、『ヌードの美術史』(美術手帖)など。

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