ダンス界の異端児・ラッキィ池田。80年代からテレビ、舞台などの振付師として活躍。近年はBerryz工房なども担当している。そんな彼は、アイドルダンスの歴史をどう見ているのか?
(写真/田中まこと)
──以前からCMなどの振付師として活躍し、最近ではBerryz工房の「私の未来のだんな様」「流星ボーイ」(09年)、「雄叫びボーイ WAO!」(10年)の振り付けも担当しているラッキィ池田さん。そもそも、ラッキィさんにとってアイドルダンスの原点とは?
ラッキィ池田(以下、ラ) やっぱり、土居甫先生の「UFO!」ですね。世界レベルの金字塔だと思います。見ている側がマネしたくなる簡単さとあのインパクトは、まだ誰も越えていないでしょう。あの頃、ダンサーの世界では舞台が一流、テレビは二流っていう考え方があった。その中で土居先生は逆に、テレビという枠の中だからこそ面白く見せられるモノを追求した人なんです。
──テレビがまだ新しいメディアだった時代ですね。
ラ 時代とリンクするってのは、アイドルの振り付け、ダンスにはとても大切なんですよ。例えば、僕の友人の南流石はルーズソックスを見て、「ゆるい踊りが来る」って言って、PUFFYの振り付けをしたらしいですからね。
──「渚にまつわるエトセトラ」(97年)のゆるーいパンチですね。
ラ そうそう。当時、安室奈美恵ちゃんとかSPEEDが本格的なダンスで一世を風靡してたでしょ? ヒップホップみたいなダンスが"カッコイイもの"として市民権を得て、同時にダンス玄人と素人の間に一線が引かれた。ここで初めて、アイドルは"振り付け"じゃなく"ダンス"をし始めたわけです。ここを境に、アイドルのダンスレベルはかなり上がりましたよね。
──その後、沖縄アクターズスクール系のユニットが乱立すると同時に、99年には、モーニング娘。が「LOVEマシーン」で大ブレイクします。
ラ 本格的なダンスブームの真逆の位置にあったから、お祭り騒ぎっぽいダンスがヒットしたんですよね。いまAKB48を見ていると、その2つの路線がうまくミックスしたなと思います。普通の子をアイドル路線に乗せるだけじゃなく、ちゃんと踊って観客を納得させる。いまハロプロで僕みたいなヘンなダンスを作る振付師が求められるのは、AKB48があくまで王道を守っているからだと思いますよ。今のアイドルって、AKB48とその他って感じでしょ? ハロプロは、時代の隙間を狙って面白いことをしようとしてる。大量生産のユニクロと、こだわりのデザイナーズブランドみたいな。やっぱり時代を反映していますよね。
(文・構成/エリンギ、有馬ゆえ──ノオト)
ラッキィ池田(らっきぃ・いけだ)
1959年生まれ。スネークマンショー「楽しいテレビ」、日清カップヌードル、グリコプリッツなどCMのほか、舞台、テレビなどで振り付けを手掛ける。公式ブログ〈http://blog.luckyikeda.com/〉