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第1特集
高い"労働運動の質"を誇った山口組の労務管理

宮崎 学×萱野稔人対談──『近代ヤクザ肯定論』のススメ【中編】

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【前編はこちら】

萱野 終戦直後の社会でアウトローが必要とされたのは、まずは闇市の管理のためでした。警察の力も弱かったし、日本の敗戦によって解放された朝鮮・台湾省民たちや駐留米軍の兵士たちとのトラブルもよくありましたから。いわば治外法権状態の中でアウトローたちが頼りにされたわけです。

宮崎 日本の警察は、当時GHQ から拳銃所持を禁止されていた。ヤクザや愚連隊に頼るしかないでしょ。闇市の管理も不良外人対策などの治安維持も、アウトローの担当でしたね。

萱野 1946年に起こった渋谷事件【註5】なんてまさにそう。渋谷警察署前で起こった、愚連隊の万年東一さんたちと在日台湾人との抗争事件です。

宮崎 万年さんは僕もよく知っているから、渋谷事件についてはいろいろと聞いているけど、あれも(在日台湾人の抗争を沈めるため)警察に頼まれてやったことですよ。アウトローは、終戦直後の日本で経済だけでなく、大きな役割を果たしていた。社会が混乱すると、アウトローの活躍の場が広がるんです。

萱野 上野英信さん【註6】の炭鉱のルポルタージュには、刑務所から出所したばかりのアウトローが坑夫たちの労務管理を担当しているという話が出てきます。しかもそのアウトローたちを仕切っているのは地元の元警察幹部なんですね。戦後日本における治安当局と資本、労働者、アウトローの関係の縮図がここにあります。

 戦後しばらくの間は、警察も企業も、アウトローを当たり前のように活用していました。体制を維持しながら焼け跡から経済復興をするには、彼らの力が必要だったんですね。でも、それが軌道に乗ってきたら切り捨てる。1960年代の第一次頂上作戦【註7】なんて、まさにそうです。

 頂上作戦とは、いわば戦後体制のパラダイムチェンジでした。治安の維持でも労務管理でも、アウトローを活用することの利点よりもコストのほうが高くなってしまったんです。猪野健治さんの『やくざ戦後史』(筑摩書房)の中に、新宿の京王デパートの建設の際、建設会社の間のトラブルが複数の組の対立に発展してしまい、その後始末に膨大な手間とカネがかかってしまった、という話が出てきます。支配層にとって、アウトロー活用のマイナス面が強くなってしまったわけですね。

宮崎 そういう側面は否定しないけれど、頂上作戦はもっと政治的なものだったんじゃないかな。特に、山口組はお上の言うことを聞かなかったから。

 60年安保に際して、反共抜刀隊【註8】が出てきたでしょ。これは、もともとは50年の朝鮮戦争勃発を機に戦前の右翼が復活してきて、児玉誉士夫や岸信介などが反共抜刀隊構想を打ち出したんだけど、当時の吉田茂首相の反対で頓挫していた。でも、60年安保の反対運動が盛り上がってきたことで、また構想が出てきたんですが、山口組は加わらなかった。これで権力は「山口組はけしからん」となっていったんでしょう。政府主導の反共体制にくみしなかったわけだから。それに、山口組は全国進出路線を採っていて、勢力を増していた。

 もうひとつ、当時の神戸港の港湾労働者の運動の問題もあると思います。当時の神戸港は、世界でも有数の貿易の拠点でした。ここの労働者たちは、日本共産党の影響下にあった労組・全港湾(全港湾労働組合)と山口組系の神港労連に分かれていました。面白いことに労使交渉では神港労連の要求のほうが具体的で、使用者側も認めることが多かったそうです。「荷運びの通路は何フィートにしろ」とかね。一方の全港湾はイデオロギー中心で、要求がわかりにくい。労働運動の質としても、山口組のほうが上だったんです。

 特に港湾荷役は、海での作業ですから生命にかかわります。使用者側としては、ヤクザが労働者側に立つことは面白くない。だから潰そうとしたのではないかな。

萱野 労務管理のためにアウトローを使っているのに何事だ、と。それまでは組合潰しのための実力部隊としてもアウトローを使っていたぐらいですから。戦後というのはアウトローが活用されると同時に、どんどん使い捨てられていく時代なんですよね。

宮崎 使うだけ使って、切り捨てるのは現在の比ではないですね。今は非正規雇用が問題になっているけれど、70年代までの鉄鋼、炭鉱、港湾労働者なんかは、みんな非正規雇用だった。屋外労働だから、雨の日は休みだし、現場がない時は仕事がない。今よりもっと不安定で、「口入れ屋」といって、ハローワークみたいなことをヤクザがやっていたんだけど、もちろんピンハネはしてたはず。でも、グッドウィルほどではなかったでしょうけど(笑)。

萱野 アウトローといえば暴力とカネですが、この2つは実は社会を動かしている最も大きな要因です。僕は『カネと暴力の系譜学』で、「暴力への権利」と「富への権利」という2つの権利から国家と資本の関係をとらえ直そうとしました。そのときにどうしても考えなくてはいけなかったのが国家とアウトローのつながりです。

宮崎 萱野さんの指摘通り、国家と資本は密接だけど、そこにはアウトローが必ず介在していますね。これは日本の資本主義の特徴です。明治維新以降、急激にヨーロッパの近代的な文化が入ってきたんだけど、思想だけは理解できても周りがついていけない。だから、もともと国営だった八幡製鉄所や三池炭鉱などを国が財閥に払い下げ、「なんとか資本主義を作ろう」とした。つまり、ヨーロッパで自然に起こった資本主義とは違うんです。ヨーロッパの労働階級はギルド的で、国家が関与しない中で資本主義が育っていった。権力を排除することで資本主義が育ったんです。日本は、お上から与えられた資本主義です。資本側も労働側にも育つ期間が与えられなかった。だから、労使関係がいびつになり、アウトローが入りやすい状況になってしまった。

【註5】戦後の混乱期にあった46年、東京の渋谷警察署前で起こった抗争事件。渋谷署員にヤクザの落合一家、武田組、愚連隊の神様と呼ばれた万年東一一派が加わった連合隊と在日台湾人が衝突し、警察側は死者1名、重傷者1名だったが、在日台湾人の死者は合計で7人、重軽傷者は34人に上った。軍事裁判では殺人犯を追及せず、責任者も不問にするとの判決が下された。
【註6】記録文学作家。本名・上野鋭之進(23年~87年)。裕福な家庭に育ちながら太平洋戦争で出征、被爆も経験する。復員後に炭鉱労働者となり、『追われゆく坑夫たち』などを執筆。
【註7】64年〜69年にかけて警視庁および各県警本部が行った、暴力団壊滅作戦。多くの組幹部が逮捕された。
【註8】60年安保闘争が盛り上がることでアウトローの児玉誉士夫らが全国の任侠団体や右翼団体に呼び掛けて発足。構想自体は、戦後、米国の占領で右翼運動が失速する中でアジアの赤化防止策のようにして生まれたが、当時の吉田茂首相などが難色を示した。

【後編に続く】

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宮崎 学(みやざき・まなぶ)
1945年、京都府生まれ。早稲田大学在学中は日本共産党・民青系学生運動に参加。その後、「週刊現代」(講談社)記者を経て、『突破者』(南風社、現在は新潮文庫)で作家デビュー。近著に『近代ヤクザ肯定論』(筑摩書房)、『談合文化論』(祥伝社)など。


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萱野稔人(かやの・としひと)
1970年、愛知県生まれ。津田塾大学准教授。哲学者。著書に『カネと暴力の系譜学』(河出書房新社)、『金融危機の資本論』(青土社/本山美彦との共著)など。


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