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第1特集
人権と差別表現のタブー 『ちびくろサンボ』を殺したのは誰だ?【3】

法学者が憂う"人権"拡大解釈の陰に隠される、真の弱者

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 当たり前のように使用されている「人権」という概念だが、はたしてこの言葉は、今の日本においてはどういった性格を持っているのだろうか?憲法学の専門家に話を聞いた。

「人権」という言葉は、日本語としては比較的新しいものです。ポツダム宣言の中で「基本的人権」という言葉が使われていたことに始まり、それを受けて、日本国憲法の中にも基本的人権の尊重がうたわれていますが、「人権」という言葉が一般にも使われるようになったのは90年代以降です。

これは戦後の日本の特殊事情なのですが、この言葉の背景にはマルクス主義の階級闘争の考えが存在します。「支配─被支配」の関係において、被支配者が支配者に対抗する概念として「人権」という言葉が使われたのです。積極的に使い始めたのは、日本共産党です。かつて、「被差別者の権利の尊重」を主張するのは、解放同盟の独占状態にありました。それを共産党は、労働者や女性といった、その他のマイノリティにも広げたかった。そこで、対象を広く使える「人権」を持ち出したのです。しかし、言葉が一般化すると、「被害者」や「弱者」を自称する人たちによる拡大解釈が始まります。

今では「人権」は誰も批判できない"魔語"になり、最近では、本当は強者である人たちが、社会やマスメディアに圧力をかける道具にされています。たとえば、人権団体が自分たちの主張を通す際には、もちろん「人権」が声高に叫ばれます。また、政治家が自身に批判的な週刊誌記事を名誉毀損で訴えたり、大手芸能プロに所属するタレントがゴシップ誌を訴えたりしますね。「名誉の毀損」は基本的人権の侵害の一種ではありますが、これを理由に自己主張するのは権力を持つ人ばかり。今の日本は訴訟社会化が進んで、些細なこともすぐに裁判になる傾向があります。しかし、現実には裁判を起こせるのは、弁護士費用の問題もあって、お金を持っている人や大きな組織に属する人に限られます。「人権」という言葉だけが独り歩きして、守られねばならない人たちが置き去りにされているのが現状だといえるでしょう。(談)

やぎ・ひでつぐ
1962年、広島県生まれ。憲法学者。現在、高崎経済大学地域政策学部教授。日本教育再生機構理事長、フジテレビジョン番組審議委員も務める。著書に『反「人権」宣言』(ちくま新書)、『公教育再生――「正常化」のために国民が知っておくべきこと』など多数。


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