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第1特集
学校教育とクイズ文化の奇妙な関係【1】

『高校生クイズ』に『東大王』…… クイズブームを支える学校と教育

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――“クイズ王”伊沢拓司やテレビ番組『東大王』(TBS)を筆頭に、世はまさにクイズブームだ。毎年の風物詩ともなっている『高校生クイズ』(日本テレビ)など、クイズと学校には何か深い関係があるようにも見える。クイズ王やクイズ作家といった識者の言などを元に、両者の関係について探っていく──。

学校とクイズは奇妙な関係にある。

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現在のクイズブームを牽引するクイズ番組『東大王』。“クイズ王”伊沢拓司をはじめ、数多くの東大スターを輩出するなど、同大学のブランド力向上にも多大な役割を果たした。一方で、識者からは「学歴偏重を助長していないか」という批判も上がり始めている。(画像はTBS『東大王』公式HPより)

何をもってクイズとするかにもよるが、「問いがあって定められた答えを返す」というクイズの基本的な形は学校の試験や受験と同様だ。その問いが知識や教養を求めるものであれば、より受験と似た側面を感じるはずだ。

一方でクイズはいわゆる学校の勉強とは違うということも、多くの人が知っているだろう。もしもクイズが試験勉強と同じであるなら、クイズ番組で参加者同士が戦う必要もないし、大学サークル同士の交流戦もいらなくなる。単に学歴や偏差値で比較すれば済むのだから。

では、そんなクイズが学校という場所とつながっていったのはいつなのだろうか。わかりやすい指標として挙げられるのがクイズ研究会の存在だ。

学校におけるクイズ研究会の歴史をまず主導したのは大学だった。その勃興期は80年代初頭。各地の大学にクイズサークルが生まれ、そのメンバーが、日本にクイズブームを巻き起こした『アメリカ横断ウルトラクイズ』(77年〜98年/日本テレビ)などのテレビのクイズ番組で華々しい戦績を挙げていった。クイズ番組が大学のクイズ研究会誕生に果たした役割は大きい。それは「『ウルトラクイズ』出場を目標として生まれたクイズ研究会が多い」という意味だけではない。

『第13回アメリカ横断ウルトラクイズ』準優勝をはじめ、『FNS1億2000万人のクイズ王決定戦』(フジテレビ)での2度の優勝など数々のクイズ番組で活躍し、80年〜90年代に「クイズ王」のひとりとして知られた永田喜彰氏は80年代当時のことをこう振り返る。

「当時はまだインターネットもなかったし、クイズをやる人同士が知り合うきっかけは基本的にテレビのクイズ番組の予選会でした。『パネルクイズ アタック25』(朝日放送)や『クイズタイムショック』(テレビ朝日)、『アップダウンクイズ』(毎日放送)といった番組では、大学生限定などの学生大会をやることがあった。本番は数人しか出られませんが、その予選会にはたくさんの学生が参加するわけで、そこで交流が生まれていったのです。

僕が大学クイズサークルの存在を知ったのも『ウルトラクイズ』がきっかけ。86年の第10回大会の放送後、出場メンバーで忘年会をやることになり、そこでホノルルクラブ(72年創設の日本最古と言われる社会人クイズサークル)の集まりに誘われたんです。また、僕は当時大阪大学の学生でしたが、このときに立命館クイズソサエティー(RUQS)のメンバーとも知り合って、RUQSに1年ほど入会することになりました」

82年に創設されたRUQSは、87〜89年にかけて3年連続で『ウルトラクイズ』優勝者を輩出し、大学クイズサークル最強のひとつとも呼ばれた。

このようにテレビのクイズ番組はクイズ好きを育てたのはもちろん、大学生を含めたクイズ愛好家同士をつなぐ存在でもあったのだ。

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