――現在、日本に存在する地域の公共図書館や学校図書館。その「原型」はGHQの占領政策の中で誕生したといっていい。しかしながら当時掲げられた「理想」は、とある事情によって崩壊。法律やサービス、人材などをめぐる構造が歪んだまま図書館は長らく放置され、いまだ解決されていない問題が多いという。
『教育改革のための学校図書館』(根本彰/東京大学出版会)
GHQの占領政策が「半端」に終わったことが、今日に至るまでの日本の図書館のありように大きな影響を与えていたことは、あまり知られていない。
1945年の占領開始当初は、対日占領を円滑にするための日本国民の意識改革が重要視され、その一環としてGHQのCIE(民間情報教育局)から文部・教育行政に属する図書館に関する指示が出される。CIEは同年12月から主要23都市にCIEインフォメーション・センターという名の図書館(CIE図書館)を順次開設して日本人にも開放。戦前の日本の図書館は閉架式で厳粛、利用料を取る上にお役所対応の図書館員が少なくなかったが、CIE図書館は無料で利用でき、洋書やアメリカのファッション雑誌などが開架式で誰でも手に取れるだけでなく、レコードコンサートやダンスパーティまで行われた。これが利用者の図書館イメージを一変させ、利用者のためのレファレンス・サービスという概念を図書館業界に認識させた。
なお、CIE教育課の初代図書館専門官フィリップ・キーニーは、共産主義封じ込め政策を打ち出したトルーマン米大統領の演説がなされて間もない47年4月にソ連のスパイ疑惑をかけられて解任され、カリフォルニア州をモデルに考案されたキーニー・プラン(全国の図書館を連携させる構想)は頓挫している。
CIEは民主主義を担う人間の「成人教育」の基盤として公共図書館を位置づけていたが──とはいえ、1950年にできた図書館法は前年にできた社会教育法の下に置かれており、実は公民館振興策のほうが期待されていた──、並行して学校教育改革も行われた。