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写真時評~モンタージュ 現在×過去~

人類学と写真(中)

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ロラン・ボナパルト《Inshta-Labi》 1883年、著者蔵

 19世紀後半にパリとロンドンを中心に成立した人類学は、当初、人体測定学(anthropometry)と呼ばれたように、人体の計測を主な課題としていた。初期の人類学では、人体計測の補助や科学的な記録として写真が利用されることが多く、ピエール=ナポレオン・ボナパルトの息子のロラン・ボナパルト王子も計測に適した撮影方法を採用していた。人類学や地理学などへの関心を高めたロランは、1889年のパリ万博で自身の撮影したアジアや北米の「原住民」の写真を「人類学ギャラリー」で披露した。この展示では、正面と側面から統一フォーマットで撮影された人々の写真がグリッド状に並べられ、それぞれの身体的な特徴を比較できるようになっていた。この中に含まれていたアメリカ・インディアンの写真は、ネブラスカ州の居留地で撮影されたものではなく、彼らが83年の秋にパリの動植物園、ジャルダン・ダクリマタシオンに滞在していた際のものであった【上画像】。

 ジャルダン・ダクリマタシオンは、60年にナポレオン3世とその妻のウジェニー皇后が動植物学の普及を目的にパリ西方のブローニュの森にオープンさせた動植物園で、ヨーロッパでは珍しい動植物を観察することができる施設として60年代にはパリ市民の憩いの場として人気を博したものの、70年にナポレオン3世が失脚して以降は、経営難に陥っていた。しかし、77年になってそこに異国の人間が加わったことにより、来園者数は劇的に増加したという。ロランが撮影したオマハ・インディアンたちは、この敷地内にティピー(テント)を建てて長期滞在し、来園者や人類学者らの観察対象になっていた人々であった。

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