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更科修一郎の「批評なんてやめときな?」【45】

絵空事を称揚することの馬鹿馬鹿しさ――幽霊、呪われた平成と世直しの幻想。

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――ゼロ年代とジェノサイズの後に残ったのは、不愉快な荒野だった?生きながら葬られた〈元〉批評家が、墓の下から現代文化と批評界隈を覗き込む〈時代観察記〉

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ネーム取りで写植を指定し、惹句を考えるマンガ編集者のノスタルジーに逃げたくても、文化と違って仕事の現実は容赦ない。

 レコード大賞の趣旨に合わないため受賞は逃したが、年末はゲップが出るほど、DA PUMP『U.S.A.』を観ていた。ISSA本人も「まぐれ当たり」と戸惑っていたが、別に現代的アレンジをしているわけでもないのに「懐かしい」が「ダサかっこいい」と言い換えられヒットしたことにはどうにも困惑している。原曲は92年のイタリア製ユーロビートだが、性的な隠喩を削いだ訳詞をISSAが歌うことで、アメリカの文化的空気が残っていた80~90年代の沖縄でアメリカの豊かさに憧れていた若者の心象風景へ純化され、過ぎ去った過去を歌う哀しい歌になっていたからだ。

 支配層の老人たちは臆面もなくオリンピックや万博といった高度成長期のノスタルジーへ逃げ込んでいるが、その下の中高年世代はバブル期のノスタルジーへ逃げ込んでいるくせに、若者の流行から逃避していることには防衛機制が働いて直視しない。

 現在進行形のR&Bを必死に追いかけていた安室奈美恵も引退し、アメリカの属国でありながらアメリカ人にはなれない諦念と哀しさを陽気に隠した『U.S.A.』の歌と踊りは、逃避しつつ逃避を隠蔽する二重思考と実に相性が良かった。今回の紅白だと若者の流行の象徴は米津玄師になるが、現代の若者の流行はナショナリズムからも隔絶し、内向的で暗いため、サザンオールスターズの馬鹿騒ぎで簡単に上書きされてしまう。放送直前、土壇場で出演を決めたくせに、徳島からの中継で「紅白というナショナリズム」に距離を置く米津に「今回の紅白の天皇」桑田佳祐が激怒したという噂が流れたのも、そうであってほしいという大衆の欲望、「空気を読まない若造」を排除して欲しいという昭和末期の若者だった世代の願望ではないのか。そして、ラストの桑田と松任谷由実のアッパーな悪ノリは昭和の終わりに日テレで放送されていた特番『メリー・クリスマス・ショー』そのままで、結局、平成という時代は昭和の幽霊でしかなかった。呪われた平成しか知らない若者たちは疎外されたまま、世の中は回っていくのだ。

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2019年12月号