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「ファンキー・ホモ・サピエンス」【63】

【フレディー・マーキュリー】自伝映画が公開中! フレディ・マーキュリー論

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『Bohemian Rhapsody: The Original Soundtrack』

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VA(販売元:ユニバーサルミュージック)

全22曲のうち、メインはクイーンのヒット曲。だが、そのうち11曲は初音盤化テイクだ。映画のクライマックスを飾る、85年『ライヴ・エイド』からの5曲もそう。そして私はこれを聴くと、92年4月のフレディ追悼コンサートの映像が見たくなる。

 似ているのか、似ていないのか?

 そう問われたら、私は「似ていない」と答え、そのあとで「だが、いい映画だ」と付け加えるだろう。クイーンの伝記映画……というより、フレディ・マーキュリーの人生を描いた作品『ボヘミアン・ラプソディ』のことである。

 ちょっと前に、BTS(防弾少年団)への愛情も、K-POPという音楽への理解もない評論家先生が――しかし的確に――米欧でのBTS人気をレポートした記事を読んだ。私は逆に――いや、「同様に」と言うべきか――ロックを理解できない。では、私がクイーンについて語るのは筋違いだろうか?

 しかし、そもそもクイーンの音楽は本当にロックなのか? そう決めつけるには、あまりに多彩で、あまりに普遍性を備えた曲が多くはないか? 「Killer Queen」「Now I'm Here」「Bicycle Race」「Don't Stop Me Now」等々、これだけロック不感症体質の私(ヘヴィメタルは別腹だ)ですら素直に楽しめる曲が揃っているのだから。さらに、「We Will Rock You」なんてラップの原型のひとつのように聞こえるし、「Another One Bites the Dust」に至っては完全なディスコ・ファンクである。……と、かつてブーツィ・コリンズのライブで、故バーニー・ウォーレルが、まさに「Bohemian Rhapsody」の前奏で鍵盤ソロを始めたことを思い出しながら。

 デヴィッド・ボウイやジョージ・マイケル、ロブ・ハルフォードやボーイ・ジョージ、エルトン・ジョンやピート・バーンズ……私が心惹かれるUKミュージシャンは、ある種の共通点を備えている。もちろん、フレディ・マーキュリーだって、その系譜に含まれる男だ。

 だが、フレディ・マーキュリーという人物をさらに興味深くしているのは、その出自である。

 彼が〈Farrokh Bulsara〉(ファルーク・バルサラ)として生を受けたのは、終戦間もない1946年。場所は、大英帝国の保護国だった東アフリカはザンジバル・スルタン国のストーンタウンという街……という時点で、あまりの異世界感に圧倒される。帝国主義的植民地経営というシステムは、第一次世界大戦を経て傾き、第二次世界大戦で決定的に破綻するが、それでも終戦直後の大英帝国は各地に領土を保持していたのだ。さて、このザンジバル・スルタン国、今ではタンザニアとなっているが、フレディ・マーキュリーその人は、もちろんアフリカ黒人ではない。

 ことの起こりは8世紀から10世紀。イスラム成立後のアラブ帝国拡大期に、イスラム支配を嫌って古代ペルシャ(イラン)から逃げたゾロアスター教徒の一団がいた。彼らはインドに定住し、「ペルシャ系」の意味でパールシー(Parsi)と呼ばれるようになる。やがてインドが大英帝国の支配下に入ると、他のインド人たち同様に――領土内で臣民をグルグルと移動させるのが帝国の常だから――彼らゾロアスター教徒も、各地に移住して大英帝国に仕えることとなる。フレディの父もそうで、ザンジバルの植民地当局で出納を担当していた。

 とはいえ、フレディが少年時代のほとんどを過ごしたのはインド、ムンバイの寄宿舎学校だ。バンドを始めたのは12歳の頃。レパートリーの中にリトル・リチャードがあったという話は、いろいろな意味で頷ける。そんなフレディがザンジバルに戻るのは63年、16歳のとき。だが翌64年、ザンジバル革命が勃発して命の危険にさらされた彼ら一家はアフリカを脱出、イングランド南東部のミドルセックスに住むことになる。

 70年にフレディと仲間たちが結成したクイーンが、さまざまな面でUKを代表するバンドとなったことは歴史書に書いてある通り。先述したジューダス・プリーストのロブ・ハルフォードがもっとも敬愛しているのもクイーンだとか。デヴィッド・ボウイがフレディを「観客を手のひらの上で転がす男」と評したこともあった。どちらもいい話だ。

 フレディ・マーキュリー。彼の生い立ちを追うだけで、西アジアの宗教闘争、大英帝国の世界支配とその終焉、東アフリカ小史、等々を我々に教えてくれるアーティストだ。その彼が、人種・民族面でも、そしてセクシャリティ的な意味でも、多様性というものを背負ってきたことは忘れないようにしたい。

まるや・きゅうべえ
ヒップホップ/R&B系サイト『bmr』編集長。12月2日(日)には【80年代以降の黒人映画】【イスラムとは何か】の2本立てでトーク→〈www.QBMaruya.com

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