サイゾーpremium  > 連載  > 更科修一郎の「批評なんてやめときな?」  > 更科修一郎の「批評なんてやめときな?」【42】/幽霊、雑誌の去勢と俗物主義の衰退。
連載
更科修一郎の「批評なんてやめときな?」【42】

「新潮45」休刊の裏にある、個人的憎悪の欠如――幽霊、雑誌の去勢と俗物主義の衰退。

+お気に入りに追加

――ゼロ年代とジェノサイズの後に残ったのは、不愉快な荒野だった?生きながら葬られた〈元〉批評家が、墓の下から現代文化と批評界隈を覗き込む〈時代観察記〉

1811_sarashina_200.jpg
金と色と権力欲の大衆史。文芸と雑誌が不可分だった時代の記録。中瀬編集長時代の「新潮45」は、まるごと黒い報告書だった。

「新潮45」が休刊した。ヘイト系記事で一発休刊の先行事例だった文藝春秋の「マルコポーロ」は、世界有数の圧力団体である「ナチ・ハンター」サイモン・ウィーゼンタール・センターに見つかって雪隠詰めだったが、それと比べても今回の騒動は、休刊寸前の雑誌が一発逆転を狙った賭場のイカサマで刃傷沙汰になったような内向きの馬鹿馬鹿しさを感じる。問題の特集も右派オピニオン路線の競合誌「月刊Hanada」「WiLL」の後追いに過ぎず、論旨以前の出来の悪さに閉口していた。

 もっとも、新潮社のイメージと言えば、伝説の編集者・齋藤十一の「どのように聖人ぶっていても、一枚めくれば金、女。それが人間」「君たち、人殺しの顔を見たくはないのか」という俗物主義であり、下衆と教養が混淆した『東京情報』や『黒い報告書』を筆者は愛していた。なので、本件の批判者にも「この会社に何を期待しているんだ?」と思うのだが、齋藤の没後、ポップな「yonda?」のキャッチフレーズで女性向けライト文芸(新潮文庫nex)にまで進出し、俗物主義の払拭に努めてきた文芸系部署にしてみれば、たまったものではなかろう。

 考えてみれば、往年の「週刊新潮」を支えていた作家陣……山崎豊子、渡辺淳一、山本夏彦、山口瞳……全員亡くなってしまった。結果、俗物主義の雑誌系部署と文芸系部署の間に溝が生まれ、雑誌系は総じて弱体化している。新潮社のアイデンティティだった反創価学会キャンペーンも近年は軽いジャブ程度で、自称・脳科学者の文化人タレントで創価学園出身の「学会エリート」中野信子が「小説新潮」で連載を持っている有様だ。

 新潮社が創価学会を蛇蝎のごとく敵視していたのは、創業者の佐藤義亮と齋藤十一がひとのみち教団の信者だったからだ。「週刊新潮」が創刊した頃の創価学会は思想的国家統一を公言し、反社会的な折伏大行進を繰り広げるオウム真理教以上のカルト宗教だった。ひとのみち教団は戦時中、政府の宗教弾圧を受けて壊滅したが、同じように壊滅したはずの創価学会が再興したのは、さぞ腹立たしかったろう。

 1956年、プロ野球の高橋ユニオンズに創価学会の細胞(上林繁次郎、野村武史、小田野柏)が入り込み、シーズンの真っ最中に選挙へ立候補する無茶苦茶な事件をやらかした。後に創価学会会長となる池田大作の妻の従兄弟はプロ野球の大エース・白木義一郎で、上林は白木とバッテリーを組んでいた。白木、上林、野村は後に政界入りし、公明党の重鎮となったが、混乱した球団へ解散の引導を渡し、上林たちを実質的にプロ野球から追放したのは、身延日蓮宗の熱心な信者だった永田雅一だ。永田の個人的憎悪は球団消滅という不幸へ至ったが、折伏大行進に球界を利用しようとしていた創価学会の排除には成功した。結局、そうした個人的憎悪に基づく思想がなければ、文化を防衛することはできないのだ。

 話を戻すと、今回の「新潮45」事件の馬鹿馬鹿しさは、編集者が左派への強烈な憎悪を欠いていたことにある。右派オピニオン路線を打ち出したのも「ムー」出身の編集長ではなく、元「週刊新潮」編集長の取締役だったようだが、個人的憎悪で対象を掘り下げていないから、敵の輪郭を正しく認識できず、オリジナリティのない特集でお茶を濁していた。その結果、右派カルトの粗雑さに足を引っ張られて自滅したのだ。もっとも、往年の創価学会のように絶対的カリスマの下で軍隊式に組織化されているわけでもない有象無象の左派リベラル層を、LGBTという眼鏡を通してカルトと定義するのは、そもそも無理があるのだが。

 休刊の原因も、文芸系部署の作家陣が版権引き上げを示唆したからだが、左派リベラルの傾向がなく、思想的立場を表明したこともない作家まで「新潮45」批判に与しているのは、少し首を傾げる。疑いたくはないが、批判に加わることが「文芸」という党派内の作法になっているのだとしたら、それはそれで何かバランスを欠いているのではないか、とも思う。確かに、齋藤十一の俗物主義は手放しで褒められるものではない。だが、そもそも雑誌という媒体は、編集者と執筆者の個人的憎悪をごった煮にした汚濁であり、汚濁の中でしか語れない真実と思想がある。

 もし、今回の事件を、「文芸」が雑誌という不採算な汚濁を去勢する理由として使うのなら、思想のない腑抜けた雑誌を作って自滅した無能な編集部よりも、筆者は個人的憎悪を向けるだろう。雑誌の創廃刊を網羅する同人誌から出版業界へ潜り込んだ、雑誌「偏愛者」として。

更科修一郎(さらしな・しゅういちろう)
コラムニスト&〈元〉批評家。90年代から批評家として活動。2009年、『批評のジェノサイズ』(共著/弊社)刊行後、休業。15年に活動再開。生来のデジタルガジェット好きなので、特集に合わせた原稿を書く予定だったが、結局、怒りに駆られて『新潮45』休刊の話になってしまった。

ログインして続きを読む
続きを読みたい方は...

Recommended by logly
サイゾープレミアム

2022年6・7月号

目指すはK-POP? ジャニーズ進化論

目指すはK-POP? ジャニーズ進化論
    • 音楽業界からの【賛辞と批判】
    • 【芸能プロ】的戦略が抱える2つの“矛盾”
    • 令和の【ジャニーズ・シングル】20選
    • 20年代のジャニーズ【ミュージックビデオ】

移ろいゆくウクライナ避難者

移ろいゆくウクライナ避難者
    • 移ろいゆく【ウクライナ】避難者

NEWS SOURCE

インタビュー

連載

サイゾーパブリシティ