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哲学者・萱野稔人の"超"哲学入門 第4回

ナショナリズムを正しく理解しないリベラルが足をすくわれ続ける理由

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(写真/永峰拓也)

『民族とナショナリズム』

アーネスト・ゲルナー(加藤節監訳)/岩波書店(00年)/2400円+税
20世紀イギリスを代表する知識人であるアーネスト・ゲルナーが「ナショナリズムとは何か」という問題について考察。ナショナリズム研究の基本文献であり、“第1級のナショナリズム研究書”と評価されてきた名著。

 近年、日本ではナショナリズムが高揚しているといわれています。事実、在日外国人を非難する排外主義的なデモも日常的におこなわれるようになりました。今回はそんなナショナリズムの高揚をまえに、そもそもナショナリズムとは何かということを考えたいと思います。それがわかっていなければ、ナショナリズムの高揚といわれる現象を的確に分析することはできないし、それを批判するにせよ肯定するにせよ、とんちんかんな議論になってしまうでしょう。

 その際に参考になるのが、アーネスト・ゲルナーのナショナリズム論です。ゲルナーは『民族とナショナリズム』の冒頭でナショナリズムを右ページのように定義しています。

 ここで「政治的な単位」といわれているのは端的には国家のことです。「民族的な単位」とは要するにそれぞれの民族ということですね。原語では「ナショナル」という言葉がつかわれているので、それぞれの国民といってもいいでしょう。その両者(ステイトとネーション)が一致しなくてはならないと考えるのがナショナリズムです。

 具体的に考えましょう。たとえばフランス南部の地中海にコルシカ島という島があります。このコルシカ島はフランスに属しているのですが、そこで話されている言葉は伝統的にフランス語とは異なっていて、フランスからの独立運動がひじょうに強い地域です。その独立運動の担い手たちはこう主張しています。コルシカ人はフランス人とは違う民族であり、したがって固有の国家をもたなくてはならない、と。コルシカは無理やりフランスに組み込まれており、そこでは政治的な単位(フランスという国家)と民族的な単位は一致していない(フランス人もいればコルシカ人もいる)、だからコルシカはフランスから独立して、政治的な単位(コルシカ国)と民族的な単位(コルシカ人)を一致させなくてはならない、ということです。

 これはナショナリズムの一つの典型です。実際にフランスでは、こうした民族独立派のことをナショナリストと呼びます。

 では、政治的な単位と民族的な単位がすでに一致している(と思われている)ところでは、ナショナリズムはどのようなものとなるでしょうか。それは国民主権の主張となります。というのも、国家とネーション(民族、国民)が一致しなくてはならないという主張は、そのままネーション(民族、国民)こそが国家の主役であるという主張を含意しますから。逆にいうと、国家は国民(ネーション)のものであり、私たち国民によって、国民のために運営されなくてはならないという国民主権の主張とは典型的なナショナリズムの主張なのです(このことは多民族国家の場合でも、その多民族が一つの国民=ネーションだと思われているところでは、変わりません)。

 自民党は憲法改正を主張しています。そこにあるのは、占領期に制定された憲法は自主憲法とはいえず、日本人自身の手で憲法を制定しなくてはならないという主張です。これも政治とネーションを一致させようとする点で、典型的なナショナリズムです。その一方で、戦後いち早く憲法改正を主張したのは日本共産党です。共産党は、日米安保条約も破棄して、いかなる国とも軍事同盟を結ばない自主独立の外交と国防をめざしていますから、典型的なナショナリスト政党です。つまりナショナリズムは右派だけの専売特許ではないんですね。日本には共産党以外にも反米左翼は多いですが、米国の影響から脱して自主外交を進めたいという点ではみんなナショナリストなんですよ。また、昨年末に特定秘密保護法案が国会で審議されているとき、反対派からは「政府がもっている情報は私たち国民のものであり、国民には秘密にされることなく開示されなくてはならない」という主張がだされましたが、これも国民主権のロジックにもとづく、典型的なナショナリズムの主張です。

 このようにナショナリズムはひじょうに幅広いものなのです。では、そんなナショナリズムがなぜ排外主義を生んでしまうのでしょうか。それは、ナショナリズムが国家は私たち国民のものだと主張した瞬間に、「その国民とは誰のことか、どのような人間が国民にふさわしいのか」という問いが必然的にでてくるからです。ポイントは、排外主義的なナショナリズムも国民主権的なリベラルなナショナリズムもじつは地続きであり、状況に応じていろいろなあらわれかたをするのがナショナリズムだ、ということです。

 現在の日本でリベラルな人たちの発言がナショナリズムの高揚に対してまったく力をもたないのは、彼らがナショナリズムを正しく理解しようとせず、自分たちとは無関係なものとして外側からそれを批判しているだけだからです。大事なのは、ナショナリズムをリベラルな人でさえつねに巻き込まれている政治的な原理としてとらえ、その内側からナショナリズムをどう変えていくかという視点をもつことです。その視点が欠けているかぎり、リベラルはいつまでもナショナリズムに足をすくわれつづけるでしょう。

(構成協力/橋富政彦)

かやの・としひと
1970年、愛知県生まれ。03年、パリ第十大学大学院哲学科博士課程修了。哲学博士。津田塾大学教授。主な著書に『国家とはなにか』(以文社)、『カネと暴力の系譜学』(河出書房新社)、『権力の読みかた』(青土社)など。近著に『最新日本言論知図』(東京書籍)、『新・現代思想講義 ナショナリズムは悪なのか』(NHK出版新書)など。

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