サイゾーpremium  > 連載  > 小原真史の「写真時評 ~モンタージュ 過去×現在~」  > 写真時評~モンタージュ 現在×過去~【26】
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写真時評~モンタージュ 現在×過去~

キリング・フィールドへの待合室

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キム・ソン(1976~79年/写真提供:Doug Niven)
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キム・ソン(1976~79年/写真提供:Doug Niven)

 ポル・ポト率いるクメール・ルージュ(赤いクメール)支配下の民主カンボジアでは、急進的な共産主義思想によって国民の5人に1人が死に追いやられたといわれている。1976年、ポル・ポト政権の治安警察・サンテバルがプノンペン郊外のトゥール・スレンに本拠を移すと、高校の跡地にS21という暗号名の政治犯収容所が造られた。2年9カ月の間に1万4000~2万人が収容され、そのうち生還したことがわかっているのは8人のみ。尋問センターでもあったこの収容所は、79年にプノンペンに侵攻したベトナム軍によって発見されるまで秘密裏に運営されていた。つまり入ったら生きて出ることのできない収容所だった。所長はカン・ケク・イウという中国系カンボジア人で、元は学校の教員。配下の看守たちには、まだあどけない10代の少年たちが数多くいた。

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民主カンボジアの高級幹部コイ・トゥオン(1976~79年/写真提供:Doug Niven)

 10歳のときに革命に加わり、16歳でS21にやってきたニエム・エンは、S21の写真小班に所属していた。写真小班は到着した囚人たちに通し番号をつけて撮影し、重要な囚人などの場合には遺体の撮影を行った。いつ自分たちが囚人の側になるかという恐怖に取り憑かれながら。撮影された写真は共産主義革命の成果証明として党中央や中国などに送られたという。党中央の被害妄想でつくられたものさしによって反革命分子とされた人々の中には、当時のニエムと同じ年くらいの少年・少女や赤ん坊も含まれている。カメラの前に立つ囚人たちはその後の運命を知らなかったが、我々はこれらが彼らの最期の撮影となることを知っている。彼らは尋問・拷問され、あるいは尋問さえされないままS21専用のキリング・フィールド(処刑場)で殺害された。まるで写真の撮影と引き換えに死が与えられたかのようだ。我々は加害者のアングルと重なるかたちで死に直面していた人々の顔を見ていることになる。

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身元不詳の囚人たち(1976~79年/写真提供:Doug Niven)

 共産主義革命の成果証明であった「犯罪者」たちの写真は、クメール人が同じクメール人を大量虐殺するという史上稀に見る犯罪のまぎれもない証明として白日の下に晒されることとなった。現在、S21はトゥール・スレン虐殺犯罪博物館として公開され、ダーク・ツーリズムの聖地のひとつとして多くの観光客を集めている。ここに展示されている囚人たちの写真はクメール・ルージュの残虐性を雄弁に物語るが、これらがカンボジアに侵攻したベトナムの指導のもと博物館として公開され、新たに親ベトナム政権を擁立する際の政治宣伝として利用されたことは、看過してはなるまい。

小原真史
1978年、愛知県生まれ。映像作家、キュレーター。監督作品に『カメラになった男―写真家中平卓馬』がある。著書に『富士幻景―近代日本と富士の病』『時の宙づり―生・写真・死』(共著)ほか。現在、IZU PHOTO MUSEUMで企画した増山たづ子展が開催中。

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