サイゾーpremium  > 連載  > 小原真史の「写真時評 ~モンタージュ 過去×現在~」  > 写真時評~モンタージュ 現在×過去~【24】
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写真時評~モンタージュ 現在×過去~

人間の展示(下)

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「拓殖博覧会 各植民地種族の一団」1912年、著者蔵。

 1903年、大阪天王寺で第5回内国勧業博覧会が開催され、会場内に学術人類館が設けられた。この学術人類館には1889年のパリ万博で「人間の展示」の様子を視察してきた東京帝国大学の人類学者・坪井正五郎が中心人物として関わっていた。「内地」周辺の住民たちが一堂に会した「学術」という名の見世物であったが、中国や朝鮮、沖縄から抗議の声が上がったために展示から除外される事態となった。いわゆる学術人類館事件である。当時の「琉球新報」に掲載された抗議の記事が「われわれは日本人であるにもかかわらず、台湾原住民やアイヌと同列に扱われたことが侮辱的」という主旨のものであり、「人間の展示」それ自体に向けられたものではなかったことは、一足早く「処分」され、日本への同化の途を歩んでいた近代沖縄の屈折を物語っているだろう。

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「拓殖博覧会における台湾蕃人」1912年、著者蔵。

 1912年に上野公園で開催された拓殖博覧会は「朝鮮台湾関東州樺太及北海道に於ける製産品其他拓殖の状勢を普く内地に紹介し殖産興業の奨励に資すると同時に殖民的進取思想を喚起する」(「中央新聞」1912年6月27日付)目的で開催され、明治時代に日本に包摂された地域から集められた物産や住民が展示された(128、129、131頁上ほか)。この時の展示にも坪井が関わっていたが、研究者たちにとって、こうした博覧会は遠隔地の住民たちと接触できる絶好の機会となっていた。

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