サイゾーpremium  > 特集2  > 磯部涼×佐々木中「腕っ節が強いだけでは尊...
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「小名浜」という曲で、自身が被差別部落出身であることを告白した鬼。同曲を収録したアルバム『赤落』のリリース時には、諸事情で獄中にいた。

──ジャパニーズ・ヒップホップの現場を洞察してきた音楽ライターの磯部涼と、ライムスターの宇多丸が「B-BOYスタンスの現代思想家」と呼ぶ佐々木中。そんな両者が、縦横無尽に日本語ラップのポテンシャルをあらためて問い直す!

磯部(以下、) これまで日本語ラップがメディアで取り上げられるときは、外野からガヤガヤとあげつらうか、シーンの内部の人がレペゼン【1】して、それに反論するか、2通りに分かれがちでした。つまり、日本語ラップに対する周囲の理解が乏しく、また表現自体も成熟していない時期にあっては、当事者性こそが重要だった。だからこそ、レペゼンする人も時代ごとに変わり、80年代はいとうせいこう【2】や近田春夫【3】、90年代はECD【4】や宇多丸【5】、今だったらダースレイダー【6】などがそうした役回りを務めているわけですが、シーンが細分化し表現が多様化した現代では、当事者性の定義も揺らいでいるのではないかと。それどころか、歴史を積み重ねたことの悪影響で、政治的・思想的しがらみが強くなり、内部にいたほうが語れないことが多かったりする。そこで、少し違う視点で日本語ラップについて考える相手として中さんは適任だと思いました。

佐々木(以下、) 自分語りは控えめにしますが、僕は多少シーンとの接触もあったけど何年も前に音楽活動をやめてレコードを全部売ってひとりの聴衆に戻ったんです。今回はインサイダーでもアウトサイダーでもないオン・ザ・ボーダーの人間として語りたい。これまで各媒体からヒップホップを批評してくれと打診はありましたが、すべて断ってきた。ラップという独自の言葉を持ったヒップホップ文化を現代思想の言葉で上から目線で斬るという下品なことはしたくない。思想やら批評を名乗れば何をどう語ってもいいという傲慢な態度がまかり通っていますが、言説には礼儀や仁義があるはず。逆に、僕が日本語ラップを含むヒップホップの影響「下」にあると言われるなら全然問題ない。

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