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宇野常寛の批評のブルーオーシャン 第12回

『マイ・バック・ページ』とロックの不可能性

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既得権益がはびこり、レッドオーシャンが広がる批評界よ、さようなら! ジェノサイズのあとにひらける、新世界がここにある!

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画像はDVD『リンダリンダリンダ』より

 山下敦弘(監督)と向井康介(脚本)のコンビを最初に意識したのは『リンダ リンダ リンダ』(05)だった。ありふれた高校のありふれた文化祭で、即興で結成された女子バンドがブルーハーツのコピーを演奏する。それだけのことを淡々と描いた映画だ。この映画の傑作たる所以は、ブルーハーツから「意味」を脱臭したことだろう。原曲に刻印された、発表当時のバブル的な空気への批判意識、泥臭く、汗臭いけれど俺たちは本物の魂を持って生きているんだという逆差別的ナルシシズムは大きく脱臭され、この映画で少女たちが演奏するブルーハーツは、端的な世界への肯定として作用する。そしてそんな肯定が、ひたすらに気持ちいい。風穴を開けたくても立ち向かうべき壁がない──そんな現代の世界、ロックを、カウンターカルチャーを原理的に成立させないこの新しい世界の持つ快楽を、この映画はブルーハーツという極めてイデオロギッシュなバンドから意味を奪うことで、コンセプチュアルにアピールした。

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