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「マル激 TALK ON DEMAND」【182】

Winny事件に見る日本停滞の根本原因

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――ビデオジャーナリストと社会学者が紡ぐ、ネットの新境地

[今月のゲスト]

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壇俊光(だん・としみつ)
[弁護士、元Winny弁護団事務局長]

1971年大阪府生まれ。95年大阪大学法学部卒業。2000年弁護士登録。04年よりWinny事件で金子勇氏の弁護団事務局長を務める。著書に『Winny 天才プログラマー金子勇との7年半』(インプレスNextPublishing)など。


日本は希代の天才プログラマーをいとも簡単に潰してしまったのか──。「Winny事件」をもとにした映画『Winny』が公開され、再び事件に注目が集まっている。そもそもは日本の刑事司法の前時代的感覚やそのお粗末さが露呈した事件だが、我々は今、再びその事実に向き合わなければならない。


神保 今回は2003年に起きたWinny事件(編注:2004年、かねてよりファイル共有ソフト「Winny」による情報流出が社会問題となっており、開発者である金子勇氏が著作権法違反幇助で逮捕された事件。約7年半に及ぶ裁判の結果、無罪となった)を改めて取り上げたいと思います。ゲストはWinny開発者である金子勇さんの弁護団の事務局長を務めた壇俊光弁護士です。壇さんは『Winny 天才プログラマー金子勇との7年半』(インプレスNextPublishing)という本を書かれています。壇さんは今、Winny事件をどう捉えていますか?

 日本の刑事司法の問題点がすべて出た事件です。しかも、この事件をきっかけに、日本で面白いフリーソフトを作る人の手がピタッと止まってしまったような気がしており、萎縮的効果が非常に大きかったと思います。今、日本人が作ったフリーソフトで面白いものはほとんど発表されていない。

神保 日本における「インターネットの父」のような存在である慶應義塾大学教授の村井純先生は、Winnyを「ソフトとしては10年に一度の傑作」と評していました。「Winnyがビジネスの基盤に育っていた未来があったかもしれない」とも語り、Winny開発者の金子さんが逮捕され、7年以上もの間、Winnyを発展させる機会が奪われてしまったことを残念がっています。

また、プログラムの開発者が刑事訴追までされてしまったことで、その後、「P2P(サーバーを介さず直接端末同士でデータを共有できる技術)関連予算がつかなくなった」とか「技術者が著作権のグレーゾーンに触れる開発をしなくなった」「開発したソフトウェアは海外で発表するよう指導する教授も出てきた」などの悪影響があったことも壇さんは挙げられていますね。

 Winny事件が、ソフトウェア産業だけでなく、意欲的な取り組みをする若者たちに対して「目立つとお巡りさんが来る」ということを見せつけた影響は大きいと思います。

神保 しかも結局、なぜ金子さんが刑事罰に問われたのかについては、いまだによくわからない。

 わからないですね。ただ、よくある国策捜査のように国の考えがあったわけではない。あるいは情報漏洩をごまかすためといった理由でもなく、ただ金子さんを立件することを目標にして捜査が行われていました。

神保 検察が主張していた裁判の争点を見ていきたいのですが、まずはWinny開発の目的について、著作権侵害を助長する目的で開発したかどうかが問われました。この背景には、2人のWinnyユーザーが映画を違法にアップロードするなどして著作権を侵害するという事件がありました。彼らはその正犯として逮捕されましたが、彼らが違法アップロードに使ったWinnyを開発した金子さんは、彼らの犯罪行為を助けた「幇助」罪に問われました。

裁判で問題になったのは、金子さんが取り調べ段階で、半ば取調官から騙されるような形で「著作物の違法コピーをインターネット上にまん延させようと積極的に意図していた」という趣旨の供述をしていて、その供述が金子さん自身の意思によるものだったのかどうかという点と、そもそもWinnyを開発したこと自体が、著作権法違反の幇助に問われるかどうかの2つでした。

マスコミと司法が悪党に仕立て上げたのか?

 裁判では「幇助」の基準が何かという点が最も争われましたが、それは地裁判決が出るまでわかりませんでした。弁護団は、どういう基準で争うのかを最初に決めようと提案したら、裁判所に拒否されました。検察官は(そういう理論的なところは裁判所がかばってくれるので)そんなこと関係なしに目的があったと決めつけた主張をしていて、その証拠として供述の信用性が関わってきたということです。

神保 幇助の基準を示さないということは、なんでもいいからとにかく有罪にできればよかったというようにも聞こえますが。

 検察にとってはそうです。検察は「Winnyは技術的に著作権侵害の技術である」「金子は神と崇められたいから著作権侵害を助長したんだ」といったことを言っていました。ただ、幇助との関係は不明です。普通の刑事事件では検察の主張が否定されたら無罪になりますが、IT系の事件の嫌なところとして、検察官の主張が信用できないとしても「こういう基準で有罪になる」と裁判所が後出しじゃんけんのようにして言ってくるということがあります。

神保 一審の京都地裁は、金子さんの自白証言が自らの意思で書かれたものではなかったことは認めましたが、「コンピュータソフトウェア著作権協会(ACCS)の調査で、ファイル共有ソフト上のコンテンツのうち、音楽は92%、映像は94%、ソフトウェアは87%が著作権侵害に使われていることを根拠に、Winnyというファイル共有ソフトを開発し、それをネット上で不特定多数に提供する行為はその幇助にあたるという判断を下し、金子さんを有罪としました。

 しかもパーセンテージについては実際に調査をしたわけではなく、アンケートを取った。アンケートの結果では、ファイル共有ソフトはほとんどが違法に使われている、Winnyはファイル共有ソフトのひとつである、金子さんは悪用されているという評判を知っていた、したがって幇助である――といったわけのわからない理屈でした。「今までにダウンロードしたファイルを3つ書いてください。例『ハウルの動く城』」という感じだったので、皆、『ハウルの動く城』と書きますよね。その結果をもって、90数%が著作権侵害に使われているとしたんです。

神保 それが判決理由なら、先ほど紹介した争点は結局争点にならなかったわけですね。

 そうです。私も驚きました。この日本では、正義もへったくれもなく、起訴したら有罪にすることが国家のメンツなんです。これはWinnyが特別だったわけではなく、刑事司法のおかしな現状が露骨に現れたということです。

神保 検察や裁判所はWinnyやP2P、あるいは著作権法の意味についてどれくらい理解していたと思いますか?

 技術の価値や著作権法の意義とかについては、全然理解していなかったと思います。どうやって有罪にするのかを考えるのが検察・裁判所なので、行動原理がまったく違います。

神保 技術を理解していない検察や裁判所が、画期的なソフトを開発した技術者を刑事訴追しているようでは、25年間、日本でほとんど技術革新が起きなかったのも当然のことかもしれません。

宮台 本当はあってはいけないとされていますが、検察官も判事も世間ウケやマスコミウケを気にしています。したがって、このWinny裁判は誰もが大きく騒ぐようなタイプの出来事だったので、その裁判で勝つことは、普通のコソ泥の裁判で勝つことに比べれば圧倒的な功績になる。それが日本なんです。

神保 当時はマスコミ報道もかなり過熱していた記憶があります。特に司法担当記者は、金子さんを悪者にする記事を多く出していた気がします。

 一番は警察まわりや司法記者クラブの人たちですが、彼らはお巡りさんのリークが大好きで、「これは警察との関係が悪くなるので書けません」と言うんです。また、オールドメディアは「インターネットの闇」というテーマが大好きです。そういうストーリーを書こうとしてこちらに裏を取ろうとするのですが、私が根本的に間違っているという話をすると「そうですか。でも書けません」という反応をします。

神保 控訴審では異なる判断が下されます。二審で大阪高裁は「Winnyは価値中立の技術」であると認定し、「様々な用途がある以上、被告人のWinny提供行為も価値中立の行為である」として無罪判決を下しました。一審での有罪理由も全否定されています。さらに幇助の定義を「正犯が犯罪行為に従事しようとしていることが示され、助力提供者もそれを知っている場合」とした上で、今回、金子さんは正犯だった人間に実際に会ったこともないし、そもそも彼らの存在すら知らないので、幇助は成り立たないとしました。

 高裁は「用途」を重視していました。著作権侵害に使えるということが主要な用途であると、つまり、悪用のためのものであるということを示して公開しなければ幇助は成立しないとした。用途を示すことは開発者がコントロールできることですから素晴らしい基準です。

神保 最高裁も基本的には高裁と同じ判断を下した上で、著作権者等からの警告やソフト提供者に対する警鐘もない段階で強制捜査に臨み、著作権侵害をまん延させることが目的だったという前提で起訴したことは「性急にすぎた」と、起訴そのものを批判する意見を付けて、上告を棄却しています。

ただ、判決は4対1でした。多数意見に反対した大谷剛彦判事(当時)は、利用者が著作権を侵害する目的でWinnyを利用する蓋然性が客観的に見て高かったことを理由に、幇助が成り立つという立場を変えませんでした。

 自分の知らない人が悪用した場合に「当時の利用状況として悪いことに使われることが多かったので幇助に当たる」と言われて納得する人はいませんよね。しかも、使われ方も時代によって変わってきます。最初は著作権侵害のようなものが多いが、ビジネスモデルが出てきた瞬間にどっと変わる。YouTubeの例をよく見てほしいと主張したところ、高裁の裁判官には非常に刺さりましたが、最高裁では全員の説得はできませんでした。

神保 著作権というものが誰の何を守るためにあるのかについて、コンセンサスがないのかとも感じました。

 著作権法の目的は保護ではなく、文化の発展です。これは第一条に書いてある。文化の発展という場合、著作権者を保護し過ぎたら誰も著作物を使わなくなるので、結局文化は発展しません。一方で、まったく保護しなくなると誰も新しく作らなくなるので、これも文化が発展しないと言われています。その調和をどうするのかということが非常に重要で、著作権法というものは非常に政策的な法律なんです。しかし今の日本は、どうしても著作権者の保護に偏っています。

神保 何が社会全体の利益となるかを考えることが必要だと。

宮台 ここで言われる社会全体の利益とは、表現に関わる利益です。表現者がいなければ表現の利益はない。他方で、表現の享受者もいなければ表現の利益はありません。表現で禄を食むことができるかどうかは非常に重要ですが、そもそも著作物の貸し借りなどが生活世界の営みの中で行われていることを前提として、文学や芸術に関する、人々の最低限のリテラシーが保たれてきたということがあります。

著作権法の社会的な利益は、ITの技術によって失われてしまうような緩さを前提として成り立っていますが、「ITがあるから厳格化できるんだ」という人がいるせいで、とんでもないことが起こりつつあるというのがアメリカの法学者ローレンス・レッシグの議論でした。

神保 著作権の法理は、裁判で議論されないのですか?

 こちらからは色々言いましたが、裁判所は議論しようとしませんでした。ただ、世界中が文化の発展と利益の調和としてどこが妥当なのかを議論している状況下で、その議論を刑事事件の法廷ではできません。彼らは、文化の発展なんかどうでもよくて、国家のメンツのために闘っているんです。

神保 でもその法理を法廷で議論できなければ、日本ではどこでその基準が決まるのでしょう。

 こういうものに関しては、民事でやれば十分だと思います。民事も権利保護に偏りすぎてますが、刑事裁判よりはマシです。イノベーションが関わっていることに警察が介入するとまずいという感覚が日本にはないんです。

宮台 中学生や高校生になったら、色々な裁判を傍聴してほしいと思います。法廷が「自分ごと化」されないまま大人になってしまうと、リテラシーの低さゆえに、法廷に過剰に権威を与えてしまいます。それが、判事や検察官に頓馬な勘違いをさせてしまうのだと思います。

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