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更科修一郎の「批評なんてやめときな?」【80】

幽霊、萌えとバンドマンガの果てに。

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――ゼロ年代とジェノサイズの後に残ったのは、不愉快な荒野だった? 生きながら葬られた〈元〉批評家が、墓の下から現代文化と批評界隈を覗き込む〈時代観察記〉

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本文ではああいうふうに書いたが、廣井きくりの由来が八十八ヶ所巡礼というあたり、別に「薄く」もないと思うんだが、どうか?

久々のマンガ特集だが、『ぼっち・ざ・ろっく!』(はまじあき)アニメ版を観て、ソフトコアポルノとしての「萌え」ブームから20年、萌え4コマもようやく「人工的な楽園」の呪縛を脱したんだな、と感心していた。連載開始当初のことを思い出したからだ。ポスト『けいおん!』(かきふらい)なガールズバンドマンガのはずが、牧歌的どころか、グループ魂の歌詞のような下北沢系クズが次々と出てくる暗黒ギャグマンガだったから、ジャンルの古参読者たちはかなり戸惑っていた。ギャグの質も暴力的で、「りぼん」の『HIGHSCORE』(津山ちなみ)に近い印象だったが、それもそのはず、作者は「ちゃお」出身の元・幼年向け少女マンガ家だった。なので、男性向け少女マンガとしての萌え4コマ=少女たちの箱庭を愛でるポルノな構造にメタ言及し、おっさんたちの逆鱗に触れる悪癖もあったのだが、そのノイズも生かす逆転の発想で「批評性を帯びた日常系ギャグ」としてのバンドマンガを選んだのだろう。確かに『デトロイト・メタル・シティ』(若杉公徳)はヒットしていたが、「どんな職業や部活でも4人の美少女大喜利にできる」萌え4コマの汎用性にハメ込んだ作品はなかった。

本来のバンドマンガの歴史は、1960年代のアメリカン・ロックを直接描いた『ファイヤー!』(水野英子)から、『緑茶夢』(森脇真末味)、『気分はグルービー』(佐藤宏之)、『To-y』(上條淳士)、『NANA』(矢沢あい)、『BECK』(ハロルド作石)など名作ぞろいで、現役のバンドマンが描いた『フジキュー!!!』(田口囁一)もある。どの作品にも共通するのはバンド活動の葛藤から生まれる人間ドラマだが、『けいおん!』は萌え4コマの形式性にのっとり、煩わしさの徹底排除でヒットした。なのに『ぼっち』はライブチケットノルマ、バンド内金銭トラブル、陰キャメンヘラアル中など、本来のバンドマンガでも避ける「矮小な」負の側面をギャグとして描いている。この方向で売れたのは、前述の『デトロイト』と、実在のロックスターの奇矯さを風刺した江口寿史の短編くらいだが、対外的には萌え4コマの形式性に守られ、成功した。

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