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町山智浩の「映画がわかるアメリカがわかる」第168回

【クロティルダの子孫たち】今なお続く悲劇 史上最後の奴隷船クロティルダの行方

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――雲に隠れた岩山のように、正面からでは見えてこない。でも映画のスクリーンを通してズイズイッと見えてくる、超大国の真の姿をお届け。


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『クロティルダの子孫たち――最後の奴隷船を探して――』

1860年、アメリカ南部のアラバマ州モービル川河口に、ダホメ王国(現在のペナン共和国)より一隻の船が到着した。それは史上最後の奴隷船、クロティルダ号だった。その翌年に南北戦争が起こり、1865年に南軍は敗北、ついに奴隷は開放された。クロティルダ号により連れてこられたカジョー・ルイスは戦後、「故郷に帰りたい、無理なら賠償してほしい」と船のオーナー、ティモシー・ミーア―に提案するが……。

監督:マーガレット・ブラウン。ネットフリックスで配信中。


アメリカ南部アラバマ州、モービル川の河口の湿地帯に、「アフリカタウン」という町がある。史上最後の奴隷船クロティルダ号で運ばれたアフリカ人たちが住み着いた町だから。

『クロティルダの子孫たち/最後の奴隷船を探して』は、アフリカタウンの人々が祖先をアメリカに運んだ奴隷船の遺跡を探すドキュメンタリー。なぜ、探すのか? それが犯罪の証拠だからだ。

勝海舟を乗せた咸臨丸がサンフランシスコに着いた1860年、クロティルダ号もアフリカで拉致した110人を乗せてモービル川に着いた。奴隷貿易は1808年に禁じられており、それは密輸入だった。何しろ奴隷解放を掲げたエイブラハム・リンカーンが大統領で当選した年なのだ。

密輸の主犯はティモシー・ミーアーという地元の奴隷農場経営者。当時、奴隷は1人1000ドル前後、現在なら高級車並みの値段だ。110人の奴隷を売った金額は現在の5億円を超えるという。これはミーアーにとって危険を冒す価値があるビッグ・ビジネスだったのだ。

奴隷を船から降ろすと、クロティルダ号には火が放たれ、川に沈められた。

その翌年に南北戦争が始まり、5年後の1865年に南軍は敗北、奴隷は解放された。クロティルダ号の110人も解放され、モービルに戻った。リーダーのカジョー・ルイスはティモシー・ミーアーに直談判した。故郷に帰りたいが、それが無理ならせめて賠償してくれと。だが、ミーアーは突っぱねた。しかし何の証拠も残ってない。しかたなく、クロティルダの人々はそこに貧しい家を建てて住み始め、アフリカタウンが生まれた。

1930年代、フロリダのアフリカ系民族学者ゾラ・ニール・ハーストンはクロティルダの人々の証言を集めた。リーダーのルイスも存命中で、ハーストンは彼をフィルムに収めている。その記録は1938年に本にまとめられたが、当時は出版社が見つからず、80年後にやっと出版された。

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