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『クロサカタツヤのネオ・ビジネス・マイニング』第94回

テレビの没落が文化と国を滅ぼす!? テレビ放送が今どんな危機にあるのか憲法学者に聞いた

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通信・放送、そしてIT業界で活躍する気鋭のコンサルタントが失われたマス・マーケットを探索し、新しいビジネスプランをご提案!

NetflixやAmazonプライムなどのネット配信について景気が良い話を聞く一方で、テレビ放送はといえば「赤字」だとか「不祥事」だとか、あんまり良い話題にならない感じ。とはいっても、受像機さえあれば誰でも見られるテレビ放送って、日本の文化においても国の統治においても、実はものすごく大事。そのテレビが、テクノロジーとかネットによって大きな変化に晒されている。さあ、これからテレビは一体どうなる?

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[今月のゲスト]
山本龍彦(ヤマモト タツヒコ)

慶應義塾大学大学院法務研究科(法科大学院)教授。慶應義塾大学グローバルリサーチインスティテュート(KGRI) 副所長。博士(法学・慶應大)。主な著書に『デジタル空間とどう向き合うか』(日経BP、共著)『AI と憲法』(日経新聞出版)『憲法学の現在地』(日本評論社、共編著)他。


●テレビ(リアルタイム)視聴とインターネット利用の並行利用行為者率(全年代・年代別・平日)

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(出典)総務省「令和元年版 情報通信白書」より

クロサカ 今月のゲストは、慶應義塾大学大学院法務研究科教授の山本龍彦先生です。山本先生は憲法学が専門で、メディアや政府の委員会などにもよく登場されています。最近では、総務省の「デジタル時代における放送制度の在り方に関する検討会」【1】の構成員を務められていて、映像や電波、通信技術が高度に発達した時代の放送制度について議論されていました。なぜ憲法学者が放送制度について議論するのか――という、そもそもの話も含めて、いろいろ伺います。ところで、山本先生はテレビって見ていますか。

山本 僕は見ていますね。最近は、『水曜日のダウンタウン』(TBS系)とか『月曜から夜更かし』(日本テレビ系)をよく見ています。

クロサカ 「テレビ見てない」って言う人、いるじゃないですか。でも、実はテレビって結構、見られているんですよね。

山本 テレビ放送を見ていなくても“テレビのコンテンツをネットで見ている”人は多いと感じます。「テレビ見ているって言うと、ダサく思われる」っていうのを気にしている人もいそうだなと。

クロサカ 「テレビの前で家族団らんは終わった」とか「ひとりがマルチスクリーンの時代で、みんなバラバラのものを見ている」って言われていますが、実際にはそこまでバラバラになりきっていない気がするんですよ。

山本 私はドラマを見ないけど、妻はひとりでスマホのTVerアプリで見ています。その意味では「個別化」は進んでいる。ただ、独身時代には見てなかったゆるいクイズ番組とか、何となく家族で見るようになりましたね。“家族で一緒に見る番組”は残っていて、その一方で個別に見るものが出てきている感じです。

クロサカ 私は5人家族の末っ子なので、子どもの頃はテレビのチャンネルの選択権がなかった。だからガンダムに興味がないのに、兄が好きだから見るしかなかった。もともと、皆で見て楽しい番組もあれば、趣味嗜好によってそれぞれ見ている番組もあって、今はこの2つが併存していて選択できる状態になっています。

山本 “興味がないけど見ている”っていうのが、放送のある種の特徴ですよね。スマホは一対一で向かい合って没入しますが、テレビの場合は向き合っていても自由度が高い。

クロサカ 自由度が高いというのは、見る側に視聴スタイルが委ねられている状態です。自己決定権というと大げさですが、テレビは自分のスタイルで見ることができつつ、それを他者に押しつけることもなく、かといって過度な能動性もない。

山本 コロンビア大学のティモシー・ウー教授【2】が、「我々はネット世界のアテンション・エコノミー【3】によって、アテンションが奪われている」と指摘しています。パーソナルデータに基づいたレコメンデーションによって、ユーザーは中毒状態になっているというわけですね。TikTokがその典型で、スワイプしてレコメンドされる動画を延々と見続けてしまう。

クロサカ 自己決定能力に乏しい、たとえば子どもにとっては危ないことです。

山本 アルゴリズムで「次に何が出てくるんだろう?」と射幸心を煽ることで、アテンションに関する自己決定が奪われて他者決定になってしまっているように感じます。

クロサカ 個人的な体験ですが、小学生の頃に家族で晩ご飯を食べていて、味噌汁にコガネムシが飛び込んだんですね。それをわかっていたのにTVの『ドラえもん』(テレビ朝日系)に夢中で、味噌汁を飲んでコガネムシを噛んで大騒ぎしました(笑)。父は外出、母は台所で、酷いことに姉と兄は終始ジーッと見ていて、ゲラゲラ笑っているんですよ。

山本 ある種のアディクション状態だったんですね(笑)。ただ、テレビの良いところは、テレビを見ている人の周りに、その行為を見ている他人がいること。だから、子どもにとってヤバそうな場面で、親がカットインできる。でも、スマホだと一対一だからアディクションになってしまい、そこにレコメンド広告が入ってくると脊髄反射的に反応してしまう。

クロサカ だから、テレビをひとりで見ているケースと、家族など皆で見ているケースとでは違うんです。皆で見ているときは、自分がその番組を見ていることを、周りも知っているし、知られても良いということになる。

山本 見ている自分が見られているという、客観的な視点がどこかにある。そこに社会性や公共性との接点がありそうですね。

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