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『クロサカタツヤのネオ・ビジネス・マイニング』第86回

IT企業のビジネスマンが50歳でワイン造りに飛び込んだワケ「ロジカルに考えてベストチョイス」

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通信・放送、そしてIT業界で活躍する気鋭のコンサルタントが失われたマス・マーケットを探索し、新しいビジネスプランをご提案!

――男は年をとると蕎麦打ちにはまるといわれるが、50歳を過ぎて蕎麦打ちどころか自らワイナリーを設立しワイン造りに挑んだ元IT企業ビジネスマンの山平さん。仕事の傍らでカーネギーメロン大学へ留学してトップのコンピュータサイエンスを学び、早稲田大学大学院でMBAを取得するなど、IT業界でバリバリ働いていた山平さんは、どうしてそれらの経歴を投げ打ってまで北海道に移住しワイン造りの道を選んだのか。

[今月のゲスト]
山平哲也(ヤマヒラ テツヤ)
大学卒業後、1993年に日本ユニシスに入社。1997年に子会社のユニアデックスに転籍し、新規事業開発に従事。2009年に早稲田大学大学院商学研究科でMBAを取得。2020年に同社を退職し、北海道上川郡東川町へ移住しワイナリー「雪川醸造」を設立。今秋に最初のワイン造りに取りかかる。

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20歳代のU・Iターンや地方での転職希望
(出典)内閣府「経済財政諮問会議」(令和2年5月29日)資料より国土政策局作成

クロサカ 今月は、昨年末に北海道の東川町で「雪川醸造」というワイナリーを立ち上げられた、山平哲也さんです。山平さんとは10年以上前から知り合いで、もともと大手IT企業で新規事業開発を担当されてきました。それが2020年に突然、方向転換され、驚きつつもその選択をうらやましく思っていました。今回は、あらためてその経緯を詳しく聞かせてください。そもそも、なぜITを最初の仕事に選んだんですか。

山平 高校生くらいまでは、父親が建築関係だったこともあって、建築家になりたかったんですよ。ところが大学受験で、どこの大学に行くかを決めるときにふと「建築家になっても楽しくなさそうだな」と思ったんです。ときがちょうどバブル景気がピークの頃で、成金ブームの趣味の悪さを見てしまって、金は儲かっても楽しくなさそうだなと。そこで、モラトリアムのために全然違う専攻の文学部に入りました。今ほど大学で学ぶことが仕事に生かせる時代じゃなかったのと、もともと本は結構読んでいたので、決断を少し先送りしたんです。

クロサカ その年齢でその決断をできるのは、なかなかですよね。

山平 で、今度は就職するときに、金融とか商社とか向いてなさそうな業界を省いて、消去法で選んだのがコンピュータエンジニア。ちょうど、ダウンサイジングがはやった時期で、「これからコンピュータエンジニアが足りなくなる」っていわれだした時代だったんですね。

クロサカ ありました! 今は「AI人材が足りない」なんて言っていますが、30年前から変わってないですね。

山平 1990年代前半のまだインターネットがはやる前で、エンジニアが足りないから「文系でもなれますよ」って言っていた。それを見て「何かをつくることにかかわれる」と思ったのと、プログラミングは言語でやるらしいけど、言語なら文学部で扱ってきたから向いているかも、と思ったんです。

クロサカ 言語のこととか自分でそれに気がつかれたのは、すごいですね。

山平 ただの屁理屈ですけど(笑)。でも、エンジニアとしてちゃんと生計を立てていこうと考えていたので、その後に会社負担でカーネギーメロン大学に留学して、コンピュータサイエンスを学びました。

クロサカ この分野ではトップ中のトップですよね。

山平 授業を受けている学生の側がRFC【1】を書いているようなところですからね。そんな環境だったので、トップエンジニアの実力というのがわかって、この道でトップになるのは大変だとわかりました。それから帰国すると、僕のいた部署がスピンアウトして、新しい分野でビジネスを拡大するための子会社になっていました。もといた日本ユニシス【2】という会社はかなり大きくてルールもきちんと決まっているので、そのなかで新しいことをやるのは大変なんですよね。一方、新会社は200人くらいでスタートして、ゼロからイチにするというよりは、0.5くらいのものを5とか10とかまで大きくしよう、という雰囲気が強いところでした。

クロサカ ちょうどITが業界規模としても、社会のなかでも大きくなっていくタイミングですよね。

山平 はい。実は、カーネギーメロン大学への留学の後に、もう1回、アメリカに行って、今度はシリコンバレーでベンチャービジネスについて調査して、どんなふうに新しいビジネスが立ち上がってくるのか、というのをつぶさに見てきました。その経験をもとに、日本に戻ってから、エンジニアから方向転換して事業企画やマーケティングをやり始めたんです。社会のいろんなところに出入りも始めて、ちょうどその頃にクロサカさんとも出会った。

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