――すべてのビール党に捧ぐ、読むほどに酩酊する個性豊かな紳士録。
有田川町は人口2万5000人強の小さな町。最近では首都圏をはじめ他の地域のビアバーで、ノムクラフトのビールを見かける機会が増えてきた。
日本でビール造りに励む外国人ブルワーは少なくないが、有田みかんの産地として知られる和歌山県・有田川町でも、アメリカからやってきたブルワーが辣腕を振るっている。
2019年に誕生した「NOM- CRAFT Brewing(ノムクラフトブリューイング)」は、ポートランド出身のベン・エムリックさんが有田川町の土地柄に着目し、現地の町おこし団体にビール事業を売り込んだことに端を発するマイクロブルワリーだ。
ポートランドといえば、かつては工業化による環境汚染のため人口流出が止まらず、深刻な過疎化が懸念された街。ところが、官民一体の取り組みによって地域の魅力を底上げし、今では「全米で最も住みたい街」と言われるまでに至った中核都市である。多くのブルワリーが密集し、それが地域の再生の一助となったポートランドは、クラフトビールファンにとって聖地と言うべき場所柄。そんなポートランド生まれのベンさんが、日本でビール造りに取り組むことになったのはなぜだろう?
「もともとは交換留学生として日本を訪れたのが始まり。日本がすっかり気に入って、大学卒業後はしばらく、大阪で英会話スクールの講師をやっていました。そのうち、日本でも徐々にクラフトビールがはやりだしているのを感じ、当初は大阪でブルーパブをやれないかと模索していたんです。そんな矢先、梅田の百貨店で催されたポートランドフェアに有田川町が出店しているのを見つけ、こちらから声をかけました」
有田川町は柑橘類の生産が盛んで、非常に水質に恵まれた地域であることから、「ポートランドに負けず劣らず、ビール造りにはうってつけの土地と直感した」とベンさんは言う。
そんな唐突にも思えるベンさんのプレゼンテーションに対し、地域のリアクションは好意的だった。それもそのはず。人口減少が進み、消滅可能性都市に指定されるほど先行きが不安視されていた有田川町では、15年からポートランドの事例に倣った町おこしプロジェクトが発足し、官民一体となってさまざまな活動をスタートしていたのだ。ベンさんの申し出は、むしろ渡りに船だったのかもしれない。
プロジェクトが進行する過程で、やはり日本でのビール造りを志していたシカゴ出身のアダム・バランさん、ポートランド旅行中に有田川町の町おこしチームと出会った金子巧さんが合流。三人体制でノムクラフト設立計画は具体化していく。
かくして18年、旧保育所施設を地域のコミュニティスペース「THE LIVING ROOM」としてリニューアルし、そこにクラフトビールが楽しめるカフェバー、「GOLDEN RIVER」が設置された。さらにブルワリー機能の整備も進め、19年に醸造をスタート。ちなみにノムクラフトとは、ノム(飲む)とクラフト(手技)を組み合わせたネーミングである。
「これまでに造ったビールは、ざっと80種類以上。共同創業者のアダムがシカゴスタイルの大味で野心的なビールを造りたがるのに対し、ポートランド出身の僕はどちらかというと、その土地ならではの自然の素材を生かしたビールを造りたい。一見、求める方向性は異なっているけど、おかげで表現の幅が広がり、結果的にそれがノムクラフトらしさを生み出しているように感じています」
ここまでの歩みを、そう満足げに語るベンさん。最大のコンセプトは「ビールを楽しんでもらうこと」だと言う。定番商品にIPAやゴールデンエールなどの飲みやすいスタイルをラインナップしているのも、クラフトビールに不慣れな地域の人々に対し、敷居を下げるためだと。
「みかんや山椒など、この地域の名産品でビールを仕込むのは、僕にとっても楽しいチャレンジです。また、隣の湯浅町は醤油発祥の地なので、醤油を使ったビールにも興味がありますが……、こちらはもう少し研究が必要ですね(笑)」
取材に訪れたこの日も、「GOLDEN RIVER」は町内外からやってきた人々で賑わっていた。町おこしの効果は如実に現れつつあると言っていいだろう。お客さんのダイレクトな反応は、ベンさんにとって、何よりのモチベーションの源だ。
最後に本場・ポートランドよりの使者であるベンさんに、日本のクラフトビール市場について意見を聞いた。
「日本にはまだ業界団体もなく、ブルワリーが個別に乱立している印象です。昨今のコロナ禍を見ても、思わぬ災厄に見舞われた際には、横のつながりがものを言うこともあるはず。今後、少しずつブルワー同士の連携を強めていけるといいですね」
友清哲(ともきよ・さとし)
旅・酒・洞窟をこよなく愛するフリーライター。主な著書に『日本クラフトビール紀行』(イースト新書Q)、『一度は行きたい「戦争遺跡」』(PHP文庫)ほか。