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オトメゴコロ乱読修行【63】

韓国映画『はちどり』“14歳、女子”に起こり得る地獄のすべて

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――サブカルを中心に社会問題までを幅広く分析するライター・稲田豊史が、映画、小説、マンガ、アニメなどフィクションをテキストに、超絶難解な乙女心を分析。

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 1994年の日本でもっとも有名だった14歳の少女と言えば、セーラームーンこと月野うさぎである(異論は認めない)。彼女は当時の女児にとって憧れの存在であり、男に頼らない“強い女子”の象徴であり、世界の救世主であり、現在に至るも、30代女性がいまだに「自立と社会進出の象徴」と崇める心のロールモデルであり続けている。

 一方、94年の韓国が舞台の青春映画『はちどり』では、14歳の少女ウニが「社会的にもっとも弱い立場で苦しむ存在」の象徴に設定されている。

 オッサンが14歳少女の生態鑑賞に時間を割いて何の得になるのか? という男性諸氏は、こう考えてほしい。あなたの職場の女性、恋人や妻、SNSやネット上で癇に障る女性論客のお歴々は、当然ながら、ひとり残らず過去に“14歳”を経験している。すなわち14歳の少女を腑分けするのは、理論上すべての成人女性のオトメゴコロを理解する行為に等しいのだ。

 本作は大きく2つの側面を持つ物語である。

 ひとつは家父長制・男尊女卑に対する社会告発的側面だ。ウニは受験ストレスの兄から日常的に暴力を振るわれているが、両親は長男である兄に甘い。母はウニに今は我慢しろと言う。その母は夫の浮気を察知するが、別れる選択はできない。ウニの親友ジスクも酷い家庭内DVを受けている。

 もうひとつが、「14歳の女の子に起こりうる地獄、全部載せ」側面だ。ウニはメンターたる女性教師のヨンジから「たくさんの顔見知りのなかで、心がわかるのはどれくらい?」という意味の漢文を教わる。それが象徴するように、親友だったはずのジスクはウニを裏切り、謝罪復縁した後も「ウニは自分勝手」とダメ出ししてくる。両親は、ウニの手術を経て一旦は優しくなるが、嫡男贔屓は変わらない。ボーイフレンドも好いてきた同性の後輩も、つい昨日まで愛を囁いてきたと思ったら、翌日にはさしたる理由もなく去ってゆく。人の心は不定形で不確か。永遠も永続もない。

 2つの側面とは、「世界は因果応報ではない」という残酷な真実の両面だ。何も悪いことをしていないのに、「女に生まれた」というだけで男と同じ機会、同じ権利は与えられない。いくら相手に愛を尽くしても、愛は返ってこない。

 この無力感に苛まれるのは、ウニだけでも、韓国だけでも、1994年だけでもないだろう。多くの女性が、なぜ夢想家の男性にため息をついて冷徹なリアリストを決め込むのか。なぜ楽天家の男性に苛立ち悲観主義に染まるのか。たった14歳で「努力と結果は無関係」だと知ったからだ。

 彼女たちは「喉元過ぎれば熱さを忘れ」たりはしない。ウニは物語冒頭から「首のしこり」に違和感を抱き、それを手術によって除去するが、医者からは「傷痕は残る」と説明される。ウニはこの先何十年たとうとも、その傷痕を見れば、気圧や天気の変化で傷が疼けば、「あの時の違和感」が一瞬で戻るだろう。

 だからこそ、女性は何年も前の男が犯したささやかな不義理や怠惰を、5秒前のことのように思い出しては、鬼のように責め立てる。「8年前の夏の土曜日、私は朝から頭が痛いと言ってたのに、なぜあなたは夕食後に洗い物もせず、席を立ってテレビをつけたの? なんで? 私がつらいって考えもしなかった!?」 その糾弾は一生続く。

 さて、本題はここからだ。本作のような「生きづらい思春期女子コンテンツ」は文化系おじさんたちの大好物であることを踏まえて、筆者の体験談を聞いてほしい。

 本作を鑑賞したのは平日日中、東京・渋谷の映画館だ。終盤近く、尊敬するヨンジ先生を悪く言った女性塾長に言い返したウニは塾を放校され、家で両親から激しく罵倒される。「女の子なのにひねくれている、性格が悪い、だから兄から殴られるんだ」と。そこでウニははじめて両親に反抗し、大声で泣き叫ぶ。「私は性格悪くない!」今まで世界から受けたすべての理不尽に対して、異議申し立てを行うかのように。魂の咆哮だ。

 しかしその瞬間、信じられないことが起こった。コロナ対策で1座席空けて隣に座っていた男性客が、ウニの「私は性格悪くない!」を「フフッ」と鼻で笑ったのだ。笑うようなシーンではない。だがそれは明らかに、「滑稽だ」と言わんばかりの嗤いだった。まるで、小さな子供がデパートの玩具売場前で「買って買ってー」と泣きじゃくるのを尻目にした通行人が向ける、「取るに足らない些事に目を細める大人の余裕」とでも言わんばかり。自分が分別わきまえた大人であることを誇示したいだけの、不愉快な笑み。

 映画が終わり、劇場が明るくなって彼を見た。推定60代後半、私服。いかにも「悠々自適の年金暮らし。趣味は都内のミニシアターで映画を観ること」な面構え。特にワイドショー等で話題になっているわけでもない、映画ファン向け“韓国”映画を、封切り2日後の平日日中に、単身で観に来る程度には「選ばれしカルチャー野郎」だ。おそらくはリベラルな進歩的文化人を自認しているに違いない。しかしそんな人間ですら(そんな人間だからこそ?)、14歳の少女に寄り添う感性は持ち合わせていない。

 タイトルの「はちどり」は世界最小の鳥で、ホバリング状態で空中に静止するために超高速で羽ばたく。「微動だにしない静止が、もっともカロリーを使う」の象徴なのだ。満員電車でパンツに手を入れられた少女が平静を装わねばならないことが、どれだけ大変か。しかし40年以上も満員電車で通勤した男性ですら、すぐ隣の少女が味わっている地獄を察知することができない。理由は「男性だから」。筆者の隣で笑った年金暮らしのカルチャーおじさんも、おそらくそういう、どこにでもいる、普通の、善良な一般男性なのだ。

 実は、件の『セーラームーン』に関する、ある画像付きツイートが先ごろ話題になった。202 0年5月25日、ツイ主はHana(@hanachantousagi)という方である。

「女の子らしい」といえばセーラームーンの旧と新ではこんなに走り方が違う。新の不自然な重心の乙女走がめちゃくちゃキモくて嫌いでした。(略)「女の子」の刷り込みがとても不愉快で見てられない。

「旧」は1993~94年に放映された『美少女戦士セーラームーンR』、「新」は2016年にリメイクされた『美少女戦士セーラームーンCrystal』第3期のことだ。比較画像を見ると、「旧」のエンディングでは制服の月野うさぎがジェンダーレスな全力疾走を披露しているが、「新」のオープニングでは「脇を締めて腕を体に近づけ、手首を捻る、ナヨナヨと媚びた女子走り」になっている。作品の一番大切なキモを、当の「公式」がまったく理解していなかったのだ。このツイートには、約17万もの「いいね」がつき、4・4万回もリツイートされた。

 30代女性の心のロールモデルに対する、あまりにも醜悪な無理解。これはウニの心の叫びを一笑に付すカルチャーおじさんの鈍感さと、なんら変わりはない。日本社会は1994年から変わっていないどころか、むしろ退化しているのか?

 映画の感じ方など、人それぞれである。しかし、少女の一世一代の訴えを鼻で笑うおじさんと、かつて“地獄の14歳”を通過した女性たちが、同じ社会でいがみ合わず生きられるとは到底思えない。どうしても思えないのだ。

稲田豊史(いなだ・とよし)
編集者/ライター。キネマ旬報社を経てフリー。著書は『ぼくたちの離婚』(角川新書)、『ドラがたり のび太系男子と藤子・F・不二雄の時代』(PLANETS)、『セーラームーン世代の社会論』(すばる舎リンケージ)。編集担当書籍は『押井言論 2012-2015』(押井守・著/サイゾー)、『ヤンキーマンガガイドブック』(DU BOOKS)、『団地団~ベランダから見渡す映画論~』(大山顕、佐藤大、速水健朗・著/キネマ旬報社)、『全方位型お笑いマガジン「コメ旬」』(ラリー遠田・責任編集/同)など。

『はちどり』
2018年・韓・米、監督・脚本:キム・ボラ。38歳の女性監督キム・ボラの少女時代をモチーフとした青春物語。ベルリン国際映画祭はじめ、世界各国で数十にも及ぶ賞を受賞。その風合いを日本産コンテンツにたとえるなら、初期の岩井俊二と『リバーズ・エッジ』以前の岡崎京子と山戸結希をごった煮のうえ蒸留した「圧倒的に透明、かつ極めて度数の高い、酩酊と嘔吐を催すシロモノ」とでも言おうか。

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