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丸屋九兵衛の「バンギン・ホモ・サピエンス」【4】

【バンギン・ホモ・サピエンス】ドニー・イェン――ボストン、怒りの鉄拳!

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人類とは旅する動物である――あの著名人を生み出したファミリーツリーの紆余曲折、ホモ・サピエンスのクレイジージャーニーを追う!

ドニー・イェン(Donnie Yen)

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(絵/濱口健)

1963年生まれ、公称身長173cm。細身のイップ・マン役では60キロまで落とし、ヴィン・ディーゼルと共演時は75キロに戻す徹底ぶりで知られる。あ、サモハンの『燃えよデブゴン』をリ・イマジンした『Enter the Fat Dragon』の日本公開は……?

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(絵/濱口健)

 私はカンフー映画が好きだ。だが昨今、カンフー愛を吐露すると時折、返されるのが「今、カンフー映画なんてあるの!?」という無邪気な暴言。嗚呼、日本人よ。君たちは、ブルース・リー~ジャッキー・チェン~ジェット・リーで止まっているのか?

 世界を見よ、坂上忍になるな。絶対的な無知をマウンティングの要素にしてはならないのだ。今、宇宙最強はドニー・イェンなのだから。

「Donnie Yen」として知られる甄子丹。その中文名は広東語でイェン・ヂーダーンと読む(北京語ではヂェン・ズーダン)。ダーン、ダン、Don。というわけで“Donnie”である。

 1963年7月27日、中華人民共和国生まれ。2歳のときに香港に移住した……と聞くが、いつも私が不思議に思うのは、その時代の中国で、どういう人がどういう理由で国外に移住できたのか、その仕組みについてだ。なんにせよ、彼の生地は広東省広州市(クリス・ウーと同郷)であり、その後は香港。つまりストレイト・アウタ・カントンなのである。ただ、彼の人生を決定づけたのは、故郷である広東ではなく、11歳のときに移り住んだアメリカ合衆国マサチューセッツ州ボストンだったようだ。

 家族構成を説明しておこう。父は香港の『星島日報』新聞のボストン支局・編集部員、甄雲龍。なんと英語名がクライスター(Klyster Yen)というめずらしい御仁である。そしてすごいのは母・麦宝嬋(マク・ボウシム)。傅式武当拳(ウータン・フィスト!)と太極拳のグランドマスターにして、ボストンで「中華武術研究所」や「麥寶嬋太極協會」を創始した著名な武術家なのである。文武両道を夫婦で分担したような家庭。

 そして父母は共に音楽的な才能でも知られていた。母はソプラノ歌唱、父はバイオリン。11歳も離れた妹クリス・イェン(甄子菁)同様、ドニーも両親の手ほどきで、武術と共に音楽に親しんだ。そんな音楽とカンフー、そしてアメリカという環境が独自の形で結実したのが、ブレイクダンスではなかろうか。そう、若き日のドニー映像には、嬉々としてブレイクダンスを披露しているものもあるのだ。

 話をドニーの幼少期に戻す。この母にしてこの子あり、ドニーが本格的にカンフーを始めたのは9歳のときだ。ほどなく米に移住し、まだまだアジア系が少なかった70年代のアメリカでの生活に思うところもあったろう。その頃に巻き起こったのが、『燃えよドラゴン』後の世界的カンフー・ブーム。ボストン市内のチャイナタウンでカンフー映画を見まくっていたドニー少年は、やがて10代半ばにして――「学校をドロップアウトした」説もあり――ボストン繁華街の極悪地区「コンバット・ゾーン」に出入りし、ケンカに明け暮れる不良になってしまう。そこで! サグなラッパー志望少年が往々にして地方で親戚との同居を命じられるのと同様、そんなドニー16歳の行く末を心配した父母が命じたのが、中国行きである。北京体育学校で武術を学ぶのだ!

 たぶん81年、2年ほど学んだ後にボストンへと帰るドニーだが、その前に立ち寄った香港でユエン・ウーピン監督と出会ったことが彼の運命を変える……と言い切れたら話が早いのだが、ドニーのキャリアは行きつ戻りつ、とても緩やかなものだった。例の体育学校で同期だったジェット・リーとは対照的に。

 アメリカ帰国後、武術大会で名を挙げたドニーは83年、ウーピン監督の誘いでスタントマンとなり、翌84年に『女デブゴン強烈無敵の体潰し!!』で主演(?)デビュー。だが85年にはボストンへ帰り、母の武術協会を手伝うことにする。

 88年に再び香港の業界入りした彼を有名にしたのは、95年のテレビシリーズだ。題して『精武門』。ブルース・リーの『ドラゴン怒りの鉄拳』を長尺化した30話のドラマで、ドニーは敬愛するブルースの当たり役「陳真」を熱演! 「ここからは歴史書に記された通り」と言えればいいのだが、続く90年代後半、またも彼のキャリアは停滞する。本当に行きつ戻りつ、なのだ。

 時は流れ、我々が『ブレイド2』でドニー・イェン、ウェズリー・スナイプス、ギレルモ・デル・トロというクラッシュ・オブ・タイタンズを目撃した02年には、ジェット・リー主演の『HERO』もあった。この『羅生門』的な嘘八百物語の中で披露した槍の技が、中華圏十数億人の目を再びドニーに向けさせることとなる。彼が主演とアクション監督を兼ねた05年作『SPL/狼よ静かに死ね』は画期的で、総合格闘技の要素を大胆に取り入れていた。ドニーとサモハンが、三角絞めや腕十字固めを駆使して戦うのだ! こうして徐々に評価を高めてきたドニーがついに本格ブレイクするのは、08年の『イップ・マン 序章』と10年の『イップ・マン 葉問』。40代後半のことである。

 その後の快進撃は凄まじい。『精武門』の8年後を描く『レジェンド・オブ・フィスト 怒りの鉄拳』、曹操との微妙な関係を見事に演じた『三国志英傑伝 関羽』、ヤーさんの抗争に総合格闘技を持ち込んだ『スペシャルID 特殊身分』、「戦う金八先生」みたいな『スーパーティーチャー 熱血格闘』、『グリーン・デスティニー』の18年後を描く『ソード・オブ・デスティニー』と、枚挙にいとまがない。そしてもちろん、『トリプルX:再起動』もあった。

 なお、中華圏とアメリカでは昨年末に公開された『イップ・マン 完結』は、この5月初頭にようやく日本封切り……予定だったが、緊急事態宣言の中で延期。だがそれとて、決して順風満帆ではなかったドニー自身のキャリアの反映でもあるように思える。谷があれば、山もあるさ。

(絵/濱口健)

丸屋九兵衛
ストレイト・アウタ・伏見稲荷な元・音楽誌編集者にして「万物評論家」、カンフー映画愛好家。コロナウイルス禍の中、オンライン・イベントがメインの仕事になりつつある今日この頃。ゴールデンウィークには6ネタで14時間トークを敢行。たぶん夏休みにも同種の企画を。詳細はツイッター〈@QB_MARUYA〉にて。

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