――すべてのビール党に捧ぐ、読むほどに酩酊する個性豊かな紳士録。
いわきの黒ビール『ビアンダ』の生みの親、「浜田屋」の3代目の佐藤哲也さん。街の“お酒の相談役”として、訪れる客それぞれに最高の1杯を勧めてくれる。
福島県のいわき市に、いっぷう変わったビールが存在する。見た目はいわゆるスタウト(黒ビール)だが、独特の香りと芳醇な旨味を持つこのビールは『ビアンダ』と名付けられ、2008年からいわき市内で限定販売されている。クラフトビール・ブーム全盛の昨今において、これはなかなかのレア物だ。仕掛人の佐藤哲也さんに話を聞いた。
「『ビアンダ』はもともと、地域経済の活性化を目的に開発したビールです。量販店や大手ショッピングモールの進出によって、昔ながらの酒屋はジリ貧の状態に陥ってしまい、将来に大きな不安を抱えています。そこで地域に新たな特産物を作ろうと考えて、ビール造りに乗り出したのです」
かくいう佐藤さんは、1926年(大正15年)から続く老舗酒販店「浜田屋」の3代目。『ビアンダ』の醸造は新潟県の新潟麦酒に委託され、販売は佐藤さんの音頭で市内6店舗の酒販店でスタートした。
ところが、思わぬ誤算があった。当初は協力を匂わせていた自治体が、このプロジェクトにのってこなかったのだ。
「市の担当者によれば、地元の原材料が使われているわけでもないビールを、公式な地ビールと認定するのは難しいとのことでした。当初の期待が大きかっただけにガッカリしたのは事実ですが、これはやむを得ないですね」
意気消沈しながらも、それなら民間の手で『ビアンダ』を盛り上げようと佐藤さんは考えた。しかし、スタートからケチがついてしまった感は否めず、反響は今ひとつ。やがて参加店は少しずつ減っていき、気がつけば『ビアンダ』を取り扱う酒販店は、佐藤さんが営む浜田屋のみになってしまったという。
それでも佐藤さんは孤軍奮闘を続けた。なぜなら、ひとりの酒飲みとして、『ビアンダ』の味と商品力に絶対的な自信を持っていたからだ。
「私自身、率直にとても美味しいビールだと感じています。セールスやプロモーションの面で苦しい思いをするのはもはや織り込み済み。実際、一度飲まれた方は高い確率でリピーターになってくれますし、続けていく価値はあると考えました」
その後、震災によって思いがけず福島の名が有名になったことから、少しずつ追い風が吹き始める。復興イベントなどで『ビアンダ』が販売され、市内の飲食店からの問い合わせも増加。そしてさらに、昨今のクラフトビール・ブームである。
「最近では『ビアンダ』を求めるお客さんは増えていますし、一度は『ビアンダ』から手を引いた他の酒販店に在庫を分けることもしばしばあります。苦しいながらも続けてきて、本当に良かったと心から思いますよ」
なお、『ビアンダ』というネーミングは、「Beer」に東北方面で使われる「んだ」という方言を組み合わせたもの。
佐藤さんによれば、「んだ」は了承や同意の意を示すだけでなく、話の腰を折らずに相手をノセる〝合いの手〟としても使える、地元民にとって愛着ある言葉なのだという。『ビアンダ』にもそうした郷土愛が込められているわけだ。
ところで、今回の取材に際し、いわき市の近況を周辺の酒場でリサーチしてみたのだが、震災から9年、なかなか厳しい状況に置かれている様子が伝わってくる。
震災直後は多くの工事関係者で特需が生まれ、平日であっても繁華街は大賑わいだったそうだが、現在は当時の半分も人の姿が見られないという。ある飲食店の店主などは、「震災バブルの去ったここ数年は最悪といっていい状況。今後も多くの店が倒れていくことになるでしょう」と苦境を口にしたものだ。
一方で、佐藤さんの口からは、こんな前向きな言葉も聞かれた。
「県民性なのか、福島の人はもともとあまりこの地域に自信がなく、例えば誰かに贈り物をするときも、地元の物より県外の有名な商品を贈ったほうが喜ばれるだろうと考えがちでした。しかし震災以降は、地元を積極的に発信しようとする人が増えています。例えば地酒にしても、蔵人たちの復興へ向けた強い意思の表れなのか、震災前より明らかにレベルが上がっているように感じますよ」
酒屋の主らしい視点で福島の現状を語る佐藤さん。そして『ビアンダ』もまた、復興と地域活性化のための大切な手段のひとつだ。
かつて、まだ日本に定着していなかったマッコリをいち早く全国に売り出したり、酒類の売り上げの低迷をキムチの販売でカバーしたりと、さまざまなアイデアで店舗を切り盛りしてきた佐藤さんだけに、『ビアンダ』についてもまだまだ頑張っていただきたいものだ。
友清哲(ともきよ・さとし)
旅・酒・洞窟をこよなく愛するフリーライター。主な著書に『日本クラフトビール紀行』(イースト新書Q)、『一度は行きたい「戦争遺跡」』(PHP文庫)ほか。