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伊藤文學の薔薇族回顧譚【3】

【薔薇族回顧譚】「薔薇族」刊行で去っていく友と、“死”を恐れぬ編集者

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――日本初のゲイ雑誌「薔薇族」創刊編集長が見た、ゲイメディアの勃興とその足跡をたどる

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「薔薇族」創刊号。同性愛を扱った読者の投稿作品に加えて、文通欄などがあり、同性愛者たちの投稿で盛り上がりを見せることとなった。

 1971年7月。マクドナルド日本一号店が銀座に作られたのと同じ頃に、日本初の男性同性愛者向け商業雑誌である「薔薇族」(第二書房)の創刊号(9月号)が刊行された。売り上げはまずまず好調で、創刊号は1万部刷ったうちの6000~7000部を実売。その後も部数は伸び続けていった。

「雑誌の中身の多くは、読者から募った投稿作品だった。例えば同性愛の体験記や悩みの相談、小説やイラストなんかの創作物とか。でも一番人気があったのは、やっぱり文通欄への投稿だよ。多いときは、全ページの半分が文通欄だった」

 当然ながらこの文通欄は、ゲイの男性が恋人や性交の相手、あるいは友人を探すために活用された。これは、「薔薇族」以前に発行されていた風俗雑誌「風俗奇譚」(文献資料刊行会)にも存在した仕組みである。今ではマッチングアプリが果たしている役割を、当時はこうした雑誌の文通欄が担っていたのだ。

 投稿文の内容は、今のマッチングアプリのそれとほとんど変わりがない。身長や体重、職業などを開示した上で、「童貞の青年求む」「老人が好きです」「自分と同じ銀行員だとうれしい」など、自分が相手に求める要望も添えた投稿者が多く見られる。

 読者は、やりとりをしたい人物を見つけたら、まずは版元である第二書房へと手紙を送る。それを伊藤やその妻が、手作業で転送するのである。送られてくる手紙は、最初は一日数十通だったがすぐに数百通、最盛期には一日1000通近くにまで膨れ上がったという。そのくらい、多くの同性愛者にとって心の拠り所になっていたということだろう。

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