サイゾーpremium  > 特集  > エンタメ  > 【日本語ラップ】の正しい歴史

――「高校生RAP選手権」『フリースタイルダンジョン』などの影響で、活況を呈している日本語ラップ。そこで、まずはこの音楽が歩んだ約30年をサイゾー的に振り返ろう。神話化された「さんピンCAMP」、メジャー・レーベルによるバブル、MCバトル・ブームの功罪……これがニッポンのラップの“正史”だ!

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80年代
ホコ天派vsサブカル派
[主なアーティスト]
CRAZY-A、B-FRESH、いとうせいこう、タイニー・パンクス、近田春夫、ヤン富田

日本のラップの起源については諸説あるが、83年公開の映画『フラッシュダンス』に影響された不良(CRAZY-A、B-FRESH、DJ KRUSHなど)が、原宿のホコ天にターンテーブルを持参し、その場でブレイクダンスを行った。一方、同年の『ワイルド・スタイル』公開にあたりアメリカのラッパーらが多数来日し、それに触発されたサブカル派(いとうせいこう、タイニー・パンクス、近田春夫など)もヒップホップに取り組むように。

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90年代
ハードコア系によるさんピンCAMP
[主なアーティスト]
スチャダラパー、YOU THE ROCK★、キングギドラ、RHYMESTER、BUDDHA BRAND、マイクロフォン・ペイジャー

“日本語ラップ”という呼称が生まれたのがこの時代であるように、日本語によるライミングの可能性が追求されていった。そのため、リリック面ではメッセージ性のオリジナリティが薄かったともいえる。例外的なのがスチャダラパーだったが、彼らはライミングを重視しなかったせいで亜流と見なされた。ダークでヘヴィな表現を特徴とするハードコア日本語ラップは、ECDが提唱した96年の「さんピンCAMP」で隆盛を極めることに。

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00年代
メジャーのバブルとハスラー・ラップ
[主なアーティスト]
漢、般若、SEEDA、ANARCHY、サイプレス上野、RIP SLYME、KREVA

2000年前後に多くのラッパーがメジャー・デビューし、日本語ラップ・バブルとなったが、やがて崩壊。それと並行する形でアンダーグラウンドで頭角を現したラッパーは、前世代に中産階級以上が多かったのに対して、社会的階層がより低く、地元密着型の活動を展開した。リリックの内容はより過激になっていった傾向があり、薬物取引を歌った“ハスラー・ラップ"のブームがMSCの漢やSCARSのSEEDAらによって発生した。

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10年代
日本語ラップが世界でウケる?
[主なアーティスト]
5lack、PUNPEE、SIMI LAB、KOHH、AKLO、R-指定、BAD HOP、KANDYTOWN

この時代を総括するにはまだ早いだろうが、「高校生RAP選手権」やFSDの影響により、現在、空前のMCバトル・ブームを迎えている。R-指定はその象徴的な存在だが、フリースタイル・ラップではなく、アルバムや楽曲、ミュージック・ビデオが評価されているラッパーたちにも目を向けるべきである。特に東京・王子出身のKOHHは、アメリカでも認知されつつある。間もなく、日本語ラップが初めて世界的にブレイクする!?


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ヘッズのみならず、一般視聴者も魅了しつつある『フリースタイルダンジョン』。

 2015年9月にテレビ朝日で放送が開始されて以来、じわじわと中毒者を増やし、今や人気番組となった『フリースタイルダンジョン』(以下、FSD)。挑戦者のラッパーが“モンスター”と呼ばれる5人のラッパーとフリースタイル(即興)・ラップでバトルし、賞金獲得を目指す同番組は、シンプルなルールとハイレベルなバトルにより、ヘッズはもちろんのこと、ラップに馴染みのなかった視聴者をも巻き込んでいる。

 そんな現在に至るまでに日本語ラップがたどってきた約30年の歴史を、本稿ではヒップホップに精通する3人の音楽ライターの話をもとに振り返ってみたい。

 まず、ヒップホップの伝来に関して、1983年7月に日本で公開された映画『フラッシュダンス』に触発されたCRAZY-AやDJ KRUSHらが原宿の歩行者天国でブレイクダンスを始めたといわれる。また、同年10月にはヒップホップの4大要素であるラップ、DJ、ブレイクダンス、グラフィティをパッケージした映画『ワイルド・スタイル』も公開され、それに感化されたいとうせいこうや近田春夫、のちにタイニー・パンクスを結成する藤原ヒロシと高木完らもヒップホップ的なアプローチを試みるようになった――。というのが、教科書的に語られる日本語ラップ黎明期のストーリーである。

「日本語ラップの起源については諸説あり、細野晴臣が作曲したスネークマンショーの『咲坂と桃内のごきげんいかが1・2・3』(81年)が日本初のラップ曲だとか、いや、いとうせいこうの『業界こんなもんだラップ』(85年)がそうだとかいわれますが、いずれにせよ日本のヒップホップは輸入文化として始まったので、なんとなく根付き、その後に歴史化されたと考えるほうが正しい。後でも述べますが、具体的には、96年に『さんピンCAMP』というイベントが開催され、“日本語ラップ”という呼称とシーンが確立されたときに、それがどこから始まったのかを検証するために歴史が編纂され始めたのではないでしょうか」

 そう語るのは、本誌上のルポルタージュ連載「川崎」が各方面で話題を呼んでいる磯部涼氏。そもそもヒップホップは、70年代初頭にアメリカ・ニューヨークのブロンクス地区に住む貧しい黒人たちの間で生まれたとされているが、「それが80年代前半に日本に伝播した際、多くの人はブレイクダンスやラップを個別に最先端のトレンドとして受容したのであり、先述の4大要素からなる“カルチャー”と認識していた人はほとんどいなかったのではないか」というのが氏の見立てだ。

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