サイゾーpremium  > 連載  > CYZO×PLANETS 月刊カルチャー時評  > 『おそ松さん』――“覇権アニメ”が内包するテレビ文化の隔世遺伝

批評家・宇野常寛が主宰するインディーズ・カルチャー誌「PLANETS」とサイゾーによる、カルチャー批評対談──。

宇野常寛[批評家]×石岡良治[表象文化研究者]

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養成所でイヤミにお笑い論をぶつけられる六つ子と、芸人を諦めて声優に切り替えた六つ子。

特集雑誌は完売、グッズには長蛇の列、放映後は考察がツイッターに躍る、前期・今期の圧倒的“覇権アニメ”となった『おそ松さん』。この大ヒットの理由を、テレビバラエティとの密接な関係を中心に読み解いてみたい。

石岡 『おそ松さん』、まさかここまで圧倒的な作品になるとは、始まる前は予想もしてませんでした。もはや深夜アニメの1作品というより、これ自体がひとつのジャンルなんじゃないかっていうくらい、コンテンツが広がりを持っている。監督・脚本は『銀魂』と同じ組み合わせ【1】ですが、『銀魂』がいま動かしにくくなっている中で、そこで本来やりたかったことのコアな部分を非常に拡大してやれてしまっているというか。正直この企画は、コケていたらめちゃくちゃサムかったはずの相当リスキーな作風だった。

『おそ松くん』はこれまで2度アニメになっている【2】けど、どちらもイヤミの「シェー」で当たった作品だった。チビ太とイヤミの人気が出て、タイトルこそ『おそ松くん』だけど六つ子は完全な脇役。ただしそれは作者の赤塚不二夫が六つ子の描き方も台詞もほぼ区別していないという、いってみればポップアートのようなコンセプチュアルなネタだったからでもある。それを『おそ松さん』では六つ子それぞれに人気声優【3】を当てて、キャラをつけまくった。

 その上で、なぜ「コケていたらサムかった」と思ったかというと、「(六つ子の)こいつはこういうキャラ」というのを前提にして、そのキャラならやらなそうなことを急に豹変してやってしまうという、ハイコンテクストなネタをどんどんぶち込んでくる。これはいま観ると大ヒット前提で作り込んできたように見えるんだけど、外したらかなり痛々しいことになっていたはずで、そこをきっちり決めてきたのはすごい。“スベり笑い”も多くて、2話を観たときに「大丈夫か?」ってちょっと思ったんですよ。ローテンションな話が延々繰り返されて、ギャグも投げっぱなしであまり回収しない。人によっては本当につまらないネタも必ずあるはず。それを補ったのが、さっき言った通りひとつのジャンルと言ってもいいくらい幅広い作風にする、手数を増やすというリスクヘッジだった。つまりネタのバリエーションが広い。僕はそんなにバラエティを多く観るほうではないけど、お笑い番組的な知性が発揮された構成の良さが出たんじゃないかと思った。

宇野 多くのアニメファンと同じように、僕はこの監督×脚本家という組み合わせの時点で、たぶん何かやらかしてくれるんだろうなという期待で観てました。言ってみれば『銀魂』的な事故が見たくて観ていたんだけど、そうしたら案の定第1話で事故って(笑)【4】、期待通りだなぁと笑ってたんだけど、それ以上に、この作品はかなり洗練されている。『銀魂』同様に『おそ松さん』もパロディが目立つんだけど、本当はどちらかというと常連キャラクターのいじり合いみたいなところで回しているんですよね。日本の芸能界という連綿と続く物語の中でキャラのいじり合いを見せてお客との距離を詰めるという、テレビバラエティの伝統を実によく取り入れている。その結果が、イヤミから六つ子への主役のシフトだったと思う。つまり、石岡さんも言ったように、これまでの『おそ松くん』が“ギャグ”だったのに対して、『おそ松さん』は“コント”になっている。

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