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更科修一郎の「批評なんてやめときな?」【10】

批評性が停滞したバンド音楽…幽霊、転がるロックのように呻く。

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――ゼロ年代とジェノサイズの後に残ったのは、不愉快な荒野だった?生きながら葬られた〈元〉批評家が、墓の下から現代文化と批評界隈を覗き込む〈時代観察記〉

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日本の意識高い系ロックの源流でマスターピースなエッセイ。学生時代、繰り返し読んでいた。

 担当さんからのメールに、今回の特集が「前髪重い系バンド(ゲス極、サカナクション、セカオワほか)」と書いてあったので、腹を抱えて笑ってしまった。卵が先か鶏が先か、依頼の大半はオタク方面の話題なので、そういう批評家として扱われているが、狭い部屋の半分はロックなCDで埋まっている。TVKの『ミュートマ』『SONY MUSIC TV』で産湯を浸かり、80年代のバンドブームを経由して小遣いを片っ端からCDに注ぎ込んでいたからだ。

 洋楽も聴いていたが、ムーンライダーズ、ニューエスト・モデル、電気グルーヴあたりを起点に70年代の日本語ロック、渋谷系、オルタナティブ、エレクトロニカまで、ほとんど無差別爆撃で聴いていた。ミクスチャーロック志向というか、過去や同時代の音楽的影響を辿って芋づる式に買っていくから、金がいくらあっても足りやしない。日清パワーステーションとかにも通っていたから、学生時代の昼食は安いうどんばかりだった。

 もっとも、オタク業界でも批評界隈でも、周囲はアニソンと声優とアイドル好きばかり。たまにロック好きに出会えばロキノン系の偏狭なマニアで、近親憎悪的に目の敵にされるから、その手の話をすることもなかった。小林信彦に難癖をつけたビートルズ論争の松村雄策のようなロック通り魔が巷にゴロゴロしていたから、個人的な趣味は誰にも言わないで自分の中でだけ体系化しておこうと心に決めていた。オタク方面の趣味は批評という仕事になってしまったから、そっちの通り魔に遭いまくったが、音楽方面の仕事は後にも先にも、別冊宝島『音楽誌が書かないJポップ批評』のZARD追悼号だけだ。

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