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哲学者・萱野稔人の"超"哲学入門 第24回

政治に携わる際に必要な倫理とは何か。「心情倫理」と「責任倫理」について考える

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(写真/永峰拓也)

『職業としての政治』

マックス・ウェーバー(脇圭平訳)/岩波書店(80年)/480円+税
あらゆる政治行動は暴力を背景にした人の支配関係であるとして、そんな政治の実践者に必要な資質と責任倫理の重要性を論じる。第一次世界大戦敗北直後、ドイツのミュンヘン大学で行われた講演をもとに加筆出版された名著。

『職業としての政治』より引用
まずわれわれが銘記しなければならないのは、倫理的に方向づけられたすべての行為は、根本的に異なった二つの調停しがたく対立した準則の下に立ちうるということ、すなわち「心情倫理的」に方向づけられている場合と、「責任的倫理的」に方向づけられている場合があるということである。

心情倫理は無責任で、責任倫理は心情を欠くという意味ではない。もちろんそんなことを言っているのではない。

しかし人が心情倫理の準則の下で行為する――宗教的に言えば「キリスト者は正しきを行い、結果を神に委ねる」――か、それとも、人は(予見しうる)結果の責任を負うべきだとする責任倫理の準則に従って行為するかは、底知れぬほど深い対立である。

 正しい動機から行動したからといって、それが正しい結果をもたらすわけではない――。これが政治の難しいところですね。

 たとえば「弱者救済」という動機から行動することはとても美しいですが、それが結果的に財政支出を増大させ、国家財政を破綻させてしまったら元も子もありません。そうなれば弱者だけでなく社会全体が苦しむことになってしまいます。

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