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哲学者・萱野稔人の"超"哲学入門 第16回

「規律・訓練」という権力の目標は、能動的にものごとを生産してくれる人間をつくることである

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(写真/永峰拓也)

『監獄の誕生―監視と処罰』

ミシェル・フーコー著/新潮社(77年)/5300円+税
フランスの思想家ミシェル・フーコーによる権力論。20世紀に刊行された哲学思想書の中で、もっとも広く影響を与えたもののひとつ。
権力がいかに人々を管理していくかを「規律・訓練」という概念を提起して分析する。

『監獄の誕生―監視と処罰』より引用
身体が権力関係と支配関係によって攻囲されるのは、かなりの程度までは生産力としてであるが、その代わりに、身体を生産力として組み込むことができるのは、身体が服従の強制の仕組(そこでは欲求もまた注意深く配分され計量され活用される政治的道具の一つである)のなかに入れられる場合に限られる。
身体は、生産する身体であると同時に服従せる身体である場合にのみ有効な力となるわけである。

 前回は暴力(物理的強制力)を背景とした権力の特徴について考えてきました。一言で権力といっても、そこにはいろいろなタイプのものがあります。これが前回の大きなポイントでした。

 たとえば暴力(物理的強制力)を背景とした権力は、何かを「するな」と命じることにはとても向いていますが、何かを「させる」ことにはあまり向いていません。たとえばもし相手が「入るな」と命じた建物のなかに入ろうとしたら、力ずくで相手を取り押さえたり、相手が暴れるようならボコボコにしたり、どこかに閉じ込めてしまったりすれば、「建物に入らせない」という目的は達成することができます。

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