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第2特集
"最高"の経済学論文【4】

【大竹文雄】格差対策を考える上で不可欠な"普通の人"の行動をもとにした経済学

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――ピケティが『21世紀の資本』で唱えた「格差論」に対し、大阪大学の大竹文雄教授はその"ズレ"について指摘してくれた。「日本の所得格差は特に拡大していない」という今、本当に読むべき経済学論文とは?

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『経済は感情で動く―― はじめての行動経済学』(紀伊國屋書店)

 ピケティの『21世紀の資本』は、端的にいえば、大金持ちの資産が社会に与える影響を示したものです。これまで、経済成長がその社会における所得を平等化すると考えられてきたのに対し、実は経済成長よりも資産の拡大のほうが速いので、所得格差は広がっていた、ということが証明されました。これはいわゆる"アメリカンドリーム"で、今貧しくても金持ちになれる、将来金持ちになれるかもしれないから累進所得税もいらない、と考えてきたアメリカ人、また、似た状況にあったイギリス人にとっては、衝撃的な結果だったことでしょう。

 日本もまた、アメリカほど大金持ちになれるとまでは思っていないけれど、少なくとも親よりは豊かになれるんじゃないかと、みんな当たり前に思ってきました。ところが、近年は経済の低成長が続き、その感覚は失われつつあります。特に、若い世代については、自分たちの所得と親たち世代の資産との間に、大きな格差を感じている人が多いのではないでしょうか。ここに、ピケティの「r>g」の論がマッチし、現在の格差論ブームにつながったのではないかと考えています。

 ただ、私が懸念するのは、アメリカやイギリスほどの大金持ちがそれほど存在しない日本において、彼の論を成立させるためにはいくつかの条件が必要だ、ということです。例えば、ピケティの論の場合、資産家はお金を貯める傾向にあることが前提となっています。しかし日本では、"老後の生活費ための貯蓄"として、お金を貯めている人が多い。そして、社会の高齢化に伴い、その家計の貯蓄率は年々減少傾向にあります。つまり、その資産を、減額せずに次の世代に渡せる人は、多くはないのです。

 そこで、今我々が本当に注目しなければならないのは、もっと大勢の、一般の層を対象とした経済学研究ではないでしょうか。

 まず、私が紹介したいのは、ダニエル・カーネマンの『ファスト&スロー』【1】です。彼は2002年に、「行動経済学」の確立によって、ノーベル経済学賞を受賞しました。

 それまで、伝統的な経済学は、非常に聡明な人たちを前提に構築されてきたものでした。この聡明な人とは、損得を考え、必ず合理的な計算ができる人を指します。合理的でない人の行動は、合理的な人にとっては利益を得る機会を与えてくれますから、市場取引の結果、非合理な人々の行動は打ち消されてしまいます。つまり、経済全体の動きを説明するには、聡明な人を前提に考えればよかったのです。しかし、もともと心理学者であったカーネマンは、「世の中の多くの人は合理的な行動ばかりを取るわけではなく、聡明な人たちだけを前提として、経済取引の多くを説明することはできないのではないか」と考えました。

 例えば、人は面倒くさがりやで、最初に与えられたものをそのまま受け取りやすい傾向がある。これを「デフォルト」効果といい、実際に日本の法律に影響を与えた例もあるんです。

 昔は、某大手ECサイトなどで一度商品を購入すると、山のような広告メールが届く、ということがよくありました。そのやり取りにおける「デフォルト」がメールを「受信する」であり、「受信しない」という選択肢が非常にわかりにくく設定されていたためです。しかし、これは現在「違法」とされ、そのメールを受信するかしないか、はっきりと選択できるように変更されています。こうした、私たちの生活に"実際に役立つ"経済学を、多くの実験データをもって示したのが『ファスト&スロー』なのです。

 次に、「教育の経済学」の分野で最も注目される研究を行っているのが、ジェームズ・ヘックマン【2】です。彼もまた、政策の効果を正確に計測する手法を開発したことによって、ノーベル経済学賞を受賞した人物です。

 ヘックマンはもともと、人種間の賃金格差の原因とその解消策を研究していました。そして、その格差を解消するために、大学、高校、小・中学校と遡り、どのタイミングにおける教育の投資が効果的かを調べ、実は、"就学前"児童に投資を行うことがもっとも有効だということを導き出したのです。

 ちなみに、このヘックマンの研究を受け、ハーバード大学の研究者、ラジ・チェティ【3】は、幼稚園の段階において、預けられたのが優秀な教師かそうでない教師かで、生涯所得に3500万円ほどの差が見られるようになった、という研究結果を発表しています。

 さらに現在、経済学では、現実の社会で「実験的研究(フィールド実験)」が用いられてきています。『その問題、経済学で解決できます。』【4】の著者、ウリ・ニーズィーとジョン・A・リストは、その中心的研究者です。

 私たちは、金銭的な動機だけではなく、社会的な動機でも行動を変えます。そこで彼らは、例えば教育の現場で、成績が上がった時に褒美をあげるのか、褒美を先にあげておいて、成績が下がったらそれを取り上げるのか、どちらが効果が大きいのかを実験し、後者のほうが効果が大きいという結果を得ました。こうしたフィールド実験をもって、寄付や教育の現場で、どのようなインセンティブを与えれば人々の行動が変わるのかを、リストたちは次々と明らかにしたのです。そして、この「フィールド実験」を、発展途上国の支援の現場で行ったのが、『貧乏人の経済学』【5】の著者、アビジット・V・バナジーとエスター・デュフロです。

 途上国への支援を行う際、「この政策がいいに違いない」と考えて、多額の費用をかけて実施しても、無駄に終わってしまうことがよくあります。しかし、デュフロたちのさまざまな実験によって、より効果的で効率のよい支援方法が検討されるようになりました。

 ちなみに、彼らの研究には学校への援助の仕方なども含まれます。日本のように「よし、ゆとり教育をしてみよう」と、一斉に実施するのではなく、比較対象グループを作って、正確に政策の効果を検証することで、彼らはより有効な政策を探し出しているのです。 今、日本社会に本当に必要なのは、こうした経済学的知見からの事実にもとづいた細かい政策の見直しではないでしょうか。国が社会支援に使えるお金は限られています。その限られた資金の中で、いかに効率よく社会を豊かにしていくか。"普通の人たち"の行動を厳密に調べた現代の経済学はきっと、貢献できるはずです。

大竹文雄(おおたけ・ふみお)
1961年、京都府生まれ。大阪大学にて教授、理事、副学長を務める。専門は労働経済学、行動経済学。12年より講師を務めている番組『オイコノミア』(NHKEテレ)が、4月より月曜22時枠へと拡大移動予定(現在は水曜23時25分~)。

大竹文雄が選ぶ
「行動経済学」を知るための"5冊"

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■心理学的視点を導入
【1】『ファスト&スロー ─あなたの意思はどのように決まるか?』(上・下)
ダニエル・カーネマン/早川書房/2012年/2268円
人は長期的な事象については合理的に考えられても、短期的な事象については目先の利益を優先しがちである、などといった、さまざまな人間の経済行動の特性を心理学的アプローチで分析した。


■教育の有効性を探る
【2】『Skill Formation and the Economics of Investing in Disadvantaged Children』
ジェームズ・ヘックマン/Science,312,1900-1902,2006.
経済的に恵まれない3~4歳のアフリカ系アメリカ人の子どもたちを対象に、就学前指導を実施。その後40年間にわたった追跡調査が行われた。その結果、就学前教育を受けた子どもは、進学率や所得などの社会経済的状況が高かった、ということを明らかにした。

■子どもはエリート教師に預けるべき!?
【3】『How Does Your Kindergarten Classroom Affect Your Earnings? Evidence from Project STAR』
ラジ・チェティ他/Quarterly Journal of Economics 126(4): 1593-1660, 2011
幼稚園での成績や幼稚園の先生の質が、その後の長期的な経済的影響を分析した。幼稚園での成績が1%ポイント上昇すると20歳代後半での所得が年収平均の1%相当である130ドルほど上昇すること、成績がよかった人ほど大学進学率、貯蓄、持ち家保有率などが高いことを明らかにした。

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■インセンティブ効果の研究
【4】『その問題、経済学で解決できます。』
ウリ・ニーズィー、ジョン・A・リスト/東洋経済新報社/2014年/1944円
保育園のお迎えに遅れる親に対し、標準的な経済学では「罰金を科せばいい」とされてきた。しかし、実地実験を行ったところ、反対に遅れてくる親は大幅に増えることがわかった。さまざまな「インセンティブ効果」の実地実験から、その"本当の"効果を示した。


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■効率的な支援方法とは?
【5】『貧乏人の経済学─もういちど貧困問題を根っこから考える』
アビジット・V・バナジー、エスター・デュフロ/みすず書房/2012年/3240円
収穫量を増やすための肥料や、マラリアを防ぐための蚊帳など、途上国への支援物資の有効かつ効率的な配布方法などをフィールド実験で明らかにした。現在、発展途上国への支援のあり方に大きな影響を与えている。

※書籍の価格はすべて税込みです。

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