サイゾーpremium  > 特集2  > 【稲葉振一郎】ピケティから読む「途上国はなぜ発展できないのか?」

――ピケティは市場経済がある程度正常に機能している国家における格差を問題にした。しかし、本当に重要なのは、そもそも先進国になれない最貧国が抱えている問題ではないのか?

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『途上国の人々との話し方―国際協力メタファシリテーションの手法』(みずのわ出版)

 ピケティによる研究の個人史を眺めた場合、彼が若いときに書いていた論文は、実は非常に数理的で抽象的なものです。それが認められて、彼はマサチューセッツ工科大学(MIT)で教鞭を執るのですが、そこで『これでいいのか?』という思いがあったのか、フランスに戻ってからは、この分野の第一人者であるアトキンソンも含めた共同研究者を募って、今回の仕事につながる統計的な実証研究に携わっていきます。このへんは彼自身がインタビューなどで語っている通りです。しかし、実はそもそも最初の理論的な仕事からしてすでに"不平等"の問題を扱っている。だから、彼は単純に転向したわけではない。『21世紀の資本』で格差をテーマとしているのも、実は若い頃からの一貫した問題意識に従っているわけです。

 ピケティを含め、彼と同世代の経済学者たちの中には、主に人的資本を念頭に置きながら、格差の発生と再生産の理論モデルを作ることに関心を持っていた人たちが結構います。その中でも知名度が高いのは、『国家はなぜ衰退するのか』【1】を書いたダロン・アセモグルでしょう。

 アセモグルが興味深いのは、ピケティとは違って理論家であり続ける一方で、それでも共同研究者を募って実証研究も手がけているところです。ピケティは主として市場経済がきちんと成立した先進国の中での国内での格差を扱い、なおかつ資本、資産格差に焦点を当てていますが、アセモグルが焦点を当てるのはむしろ労働市場、賃金格差です。さらに先に挙げた【1】では、アセモグルの問題意識は「政治経済学」というか国家レベルの政治体制の問題のほうに向いていて、途上国と先進国、あるいは経済成長を持続できた国とできなかった国との違い、グローバルな格差について研究しています。そして、国家間の政治体制の違いこそがグローバルな格差を生み出していると結論づける。

 グローバルな格差は、アジアの中進国の躍進などによって改善してはいるが、中部アフリカなどを中心に、どうにもならない国が残り続けているのも確かである。では、長期的に成長できる国とできない国の違いは何か?そのいちばんのポイントは、法的な制度やそれを支える政治的な制度がきちんと整備され機能しているかどうかであると、彼らは考える。格差の問題をグローバルに考えていった場合、焦点となるのは先進国になれるかどうかという問題であって、彼らからするとピケティの研究は、ある種の成長ペシミズムに見えるわけです。つまり、先進国にはなれているのに、もはや大した経済成長は望めないと嘆いているわけですから。

 ブランコ・ミラノヴィッチの『不平等について』【2】は、そういったさまざまな不平等の問題を通覧して一般読者向けに解説した1冊で、おすすめです。グローバルな格差と国内レベルの格差の双方に目を配りながら、不平等の問題について考えています。そういった総覧的な本としては、アンガス・ディートンの『大脱出』【3】も、なかなか興味深い1冊です。この本は格差それ自体というよりは、アセモグルらと同様、成長と停滞に焦点を置いた(不平等をその結果としてとらえた)本なのですが、経済成長のみならず、寿命なども含め健康状態の改善、そして健康格差の問題を調査したものです。

 ところで、健康格差というのは極めて興味深い問題です。先進国においても平均寿命が短い場所や地域というのがあって、国内的な不平等が大きいと平均寿命や健康状態にとってはマイナスである、ということをきわめて実証的に結論づけています。例えば、インドの農村部とアメリカの大都市圏の比較的貧困な地域を比べてみた場合、所得ベースで考えたらもちろんアメリカのほうが高いのですが、寿命や健康指数で見たらアメリカの貧困地域のほうが下になると。そういった経済的不平等と健康の関係は、リチャード・ウィルキンソンの『格差社会の衝撃』【4】などの一連の仕事で詳しく追及されています。要は、不平等の存在そのものが人々のストレスを高めるので、不平等は健康にとってもマイナスに働く、ということですね。

 もう1冊紹介しておきたいのが、ムケシュ・エスワランとアショク・コトワルの『なぜ貧困はなくならないのか』【5】です。これはインドの開発について書いた本なのですが、貧困や格差はなぜ生じるのかという問題について、非常によく書かれている。最初に言及したアセモグルたちが政治体制に注目するのに対して、この本では市場経済の論理に即して、発展途上国の停滞の原因を探ります。政治が安定して市場経済がうまく展開すれば自動的に成長が始まり格差もなくなるかというと、必ずしもそんなことはない。そこからピケティは先進国における資産の配分の問題を考えていくわけですが、この本では途上国、具体的にはインドを念頭に置いて、民主的な体制は一応できていて、市場経済も一応存在するのに、なかなか成長しないのはなぜなのかということを、かなりクリアに分析しています。途上国の開発戦略としては、先進国に借金をして工業化を図ってもあまりうまくいかなくて、むしろ農村、特に最貧層の底上げが重要である、ということは経験的にわかってきました。この本ではそれがなぜなのか、という理論的なメカニズムを明らかにしようとしているのです。つまり、市場経済を導入するだけではダメで、もうひとつ何かが必要であると。具体的には、小農村の生産性と所得の向上なのですが、そういった視点は『国家はなぜ衰退するのか』『21世紀の資本』からは抜け落ちているので、これはこれで非常に面白いと思います。

 それから最後にひとつ指摘しておきたいのですが、経済学とリンクするかのように、哲学方面でも最近、"格差"の問題がホットなトピックとなっています。つまり、「そもそもなぜ平等でなければならないのか」あるいは「平等を追及することを通じて何を目指すのか」という問題です。このあたりは日本語ではまとまった文献がまだあまり出ていないのですが、橋本祐子『リバタリアニズムと最小福祉国家』(勁草書房)や宇佐美誠『その先の正義論』(武田ランダムハウスジャパン)といった本の中で部分的に言及されているので、それらを参照してみてもいいでしょう。

(文/麦倉正樹)

稲葉振一郎(いなば・しんいちろう)
1963年、東京都生まれ。明治学院大学教授。86年一橋大学社会学部卒業、92年東京大学大学院経済学研究科博士課程単位取得退学。著書に『経済学という教養』(ちくま文庫)など。専門は社会倫理学。

稲葉振一郎が選ぶ
「グローバル格差」を知るための"5冊"

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■法制度・政治制度の重要さ
【1】『国家はなぜ衰退するのか 権力・繁栄・貧困の起源』(上・下)
ダロン・アセモグル&ジェイムズ・A・ロビンソン/早川書房(2013年)/上下各2592円
豊かな国と貧しい国では何が違うのか?それは、政治・経済上の「制度」である。15年に及ぶ共同研究の成果をもとに、国家の盛衰を決定づけるメカニズムに迫る。


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■人類3000年の不平等の歴史
【2】『不平等について―経済学と統計が語る26の話』
ブランコ・ミラノヴィッチ/みすず書房(2012年)/3240円
グローバリゼーションで世界は不平等になったのか?25年にわたって世界の不平等を研究してきた著者が、古代ローマから近現代に至るまでさまざまな時代や国における不平等を分析する。


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■"健康格差"という視点
【3】『大脱出─健康、お金、格差の起源』
アンガス・ディートン/みすず書房(2014年)/4104円
貧困という収容所から「大脱出」を果たせず取り残された人々がいる──250年前から現在までを歴史的にたどりながら、経済成長と健康の関係を分析することで、格差の背後にあるメカニズムを解き明かそうとする1冊。


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■格差そのものの問題点をえぐる
【4】『格差社会の衝撃─不健康な格差社会を健康にする法』
リチャード・ウィルキンソン/書籍工房早山(2009年)/2052円
格差社会における相対的不平等がもたらすストレスは、貧しい者と富める者、その両者の健康を蝕んでいく?経済史家から医学者に転じ「不平等はなぜ不健康を生むのか?」を追究してきた社会疫学の第一人者による論証。


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■インドというケーススタディ
【5】『なぜ貧困はなくならないのか─開発経済学入門』
ムケシュ・エスワラン、アショク・コトワル/日本評論社(2000年)/2052円
アジア諸国が高成長を遂げるなか、いまだに多くの人々が貧困にあえいでいるインド。インドが陥った開発の落とし穴とはなんだったのか。そして、途上国が貧困から脱する道筋とは? 経済発展の本質を解き明かした1冊。

※書籍の価格はすべて税込みです。

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