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神保哲生×宮台真司「マル激 TALK ON DEMAND」 第92回

“勝てば官軍”W杯で考えるスポーツ合理性への疑問

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――少し古い話題になるが、先般行われたブラジルサッカーW杯では、開催国であるサッカー王国ブラジルは歴史的大差で敗退し、ドイツの優勝で幕を下ろした。数多くのメディアでは、さまざまな検証や分析がなされたが、そもそもスポーツによる勝敗は、どこまで合理性を持たせるべきなのだろうか? 多角的見地からこの問題を見ていこう。

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「そのボールは何でできている?  牛の皮だ。フィールドには何が生えている?  緑の芝だ。だからボールを転がせ」――サッカーは原点に還ることができるのか?

[今月のゲスト]
今福龍太(東京外語大学大学院教授)

神保 今回、マル激としては珍しくスポーツの話題を取り上げます。FIFAサッカーワールドカップ(以下、W杯)に関する話題です。W杯直前のNHK特番で華麗なパスワークを信条とするスペインの中心選手のプレーを科学的に解析する番組を放送していました。身長は日本人と変わらないのに状況判断に優れ、的確なパスを出すシャビ選手は、脳のある部分が普通の人よりも特別に発達していることがわかった、みたいな内容でした。

 スポーツに科学的にアプローチすることは意味があると思いますが、無理矢理脳科学に持って行こうとする企画には、ちょっと違和感を禁じ得ませんでした。

宮台 今回議論したいテーマに通じますが、「それならばMRIスキャンをして、脳のその部分が発達した人間を選手としてスカウトすればいい」という話になります。

神保 今回のW杯はサッカーというゲームを科学的に分析して、最適解を出すための最も効率的なプレーを展開したドイツが優勝しました。日本が早々に敗退したことだけでなく、このドイツに準決勝で開催国ブラジルが1−7の大敗を喫したことも衝撃的でした。ドイツの勝利、ブラジルの惨敗、そして日本の期待外れ等々、そうした結果からサッカー以外のさまざまなものが見えてきた大会であったという指摘があります。

 ゲストは文化人類学者でラテンアメリカ、特にブラジル文化に詳しい、東京外国語大学大学院教授の今福龍太さんです。

 今福さんはサッカーに造詣が深く、勝利至上主義を相対化する『ブラジルのホモ・ルーデンス』(月曜社)という本も書かれています。その今福さんは新聞記事で、ブラジルの大敗を「サッカーの危機である」とまで書かれました。ブラジルが負けたことが、なぜサッカー全体の危機になってしまうのですか?

今福 準決勝を観ていて「サッカーそのものが否定されているのではないか」という非常に強い怒りがこみ上げてきました。例えば、ドイツが3−0とリードした状況で、クロースという選手がブラジルDFのバックパスを背後から奪い去り、そのまま簡単にゴールを決めたシーンがあります。野球でも大量得点差での盗塁はタブー視されていますが、そこには本来あったはずの「勝ち負けとは別のところで、サッカーを美的なものとして成立させよう」という意思がない。

 ブラジルが体現するサッカーは、サッカーのミューズ(女神)との対話です。例えば、ブラジルのルイス・グスタヴォ選手は、試合後に必ずピッチにひざまずいて祈ります。勝敗という結果に対する感覚から離れて、自分がミューズと対話してきた90分の結末に対して祈る。サッカーのミューズは確かに気まぐれで、今回のような大敗もありえますが、そのような偶然性こそがサッカーであることをブラジル人は引き受けています。ブラジル戦でのドイツに、そうした感覚に対する冒涜を感じました。その背景には、我々の社会全体を追い詰めている政治的、経済的、技術的な抑圧があるのではないでしょうか。

神保 ブラジルに代表される「偶然性」の原理と、ドイツに代表される「合理性」の原理の対決において、今大会では結果を見る限り合理性が勝ったということですね。ドイツは、相手チームのデータを徹底的に分析し、そこに勝つための最適解が何かを追求した上で、各選手にそれを徹底して指示していたように見えました。

 今福さんが指摘されていましたが、今日のサッカーでは相手チームや選手のデータをコンピュータで分析するのは当たり前のことで、今や選手のスパイクにICチップを埋め込んで、走行距離やパスの本数などをすべてデータ化し、それに基づいて戦術を組むようなことまで行われているそうですね。

宮台 今福先生は「サッカーの危機」というメタファーを使って、社会全体が危機に陥っている事実を指摘されているのだと理解します。僕はこの2年間、性愛系のワークショップを行いながら考えました。

 現在はビッグデータ化が進んでいます。こうした技術革新の延長線上で、例えば胸元のカメラで相手の反応を捉え、その映像をサーバーに送り、ビッグデータに基づいてコンピュータが分析し、その結果を耳に埋め込んだチップに音声で返して効果的な言動を指示する……ということが、いずれ可能になるでしょう。そうしたリアルタイムの分析から出てきた指示に従って行動し、親密な関係の実現に成功した場合、それは果たして誰の達成でしょうか。これは、僕がよく語る「主体の入れ替え可能性」の問題を超えます。記憶だけでなく判断をも外部化し、システムに依存する事態になれば、僕らはどう考えても、機械的な主体にすらなれないのです。

今福 合理的な分析に従って勝利や成功を得る、というプロセスそのものが疑われずに、プログラムの違いだけが競われる――サッカーの背後にあるのも、そのような問題です。宮台さんがおっしゃるように、もう少しすれば個々の選手が耳にモニターを入れて、それぞれコンピュータから指示を受けて動くような時代が来るかもしれない。

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2019年12月号